5月から6月にかけて、中国は外交・軍事で目覚ましい押し出しを見せた。パキスタン(本コラム前回参照)に続いてミャンマーを事実上の衛星国とする動きが、にわかに加速した。
古典的帝国主義外交ミャンマーに
鉄道・パイプライン・港湾建設をワンセットとしてミャンマーに食い込む浸透ぶりは、古典的帝国主義外交の再来を思わせる。ベルリン・バグダッドを鉄道で結ぶというような。
隣国に自国資産を権益として築く先に、何があり得るだろうか。
ミャンマーはお世辞にも国家の体を成し切っていない。中国との国境周辺には麻薬の温床があり、反乱勢力がいる。
資産保全を名目とした北京によるミャンマー内政への干渉は、つとに続いている。3月に初めて「文民」指導者としてミャンマー大統領となったテイン・セイン(Thein Sein)氏の掲げる7段階民主化論は、北京の指導下できたとする有力な説がある。
それでも国内が治まるには遠大な時間がかかる。統治力の補完と称して中国が一定規模を派兵することすらあり得ぬかと、そんなことまで思わせずにおかない。故事を探れば満州鉄道権益保全を目的に関東軍が押し出した、あれだ。
そしてここで言うミャンマーの港とは、中国の資金なくしてできぬもの、もちろん先々中国海軍艦船の停泊地となるものである。
各国を5月に呼んだのは偶然か?
「日中韓サミット」を終え日本から北京へ戻った温家宝・中国首相は、それから1週間も経たぬ5月27日、ミャンマーからセイン大統領を迎えて応接した。就任後2カ月のセイン氏にとって、初の公式訪問先は中国のほかあり得ない。
ところで5月は中国に、パキスタン、北朝鮮、ミャンマーから最高首脳が、加えてイランからは外相が相次いで訪れた。これを偶然の一致と見るのは無邪気に過ぎよう。
米国は、イスラエルが反発すること必定の中東和平方針を打ち出し、案の定ネタニヤフ同国首相に蹴られてシドロモドロ状態。リビアの硬直、シリアの動乱そしてアフガニスタンからの撤退秒読みと、注意を要する事態は多過ぎアジアに割く外交資源をロクに持っていない。