連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識
乱婚とは、現在のように確固とした婚姻制度がない時代、集団内の男と女が、基本的に複数の相手と自由に性的関係を持つ婚姻形態を指す。
人間以外の生物も、各個体が単体もしくは集団で生活しつつ行き当たりばったりで他の個体と繁殖を行うのは、乱婚の一つの形態といえる。
こうした生殖活動においては、性的関係を持った相手に対しては、親密な関係は存在しない。もしくは短時間しか持続しない。
現代の人間社会にも見られる、「行きずり」や「性風俗」などの性的行為後における、男女間の親密さの持続性や愛情の有無などを鑑みれば、そうした事象も乱婚形態の一つの名残ではないか。
「神聖娼婦」という制度
売春やポルノといった性行為に関するものは、性的な不品行であり、卑しいものであるというのが一般的な社会通念だ。
だが、人間が動物のように子供を産むために生殖活動をしていた時代、性にまつわる様々な行為は、卑俗なこととは捉えられてはいなかった。
原始時代の集団婚において、不特定多数の相手との気ままな性交により子供が生まれれば、一妻多夫婚の場合と同じく、その個体の遺伝上の父親が誰であるかは明確でない場合が多かった。
だが、そうしたことは重要なことではなかった。
文明が原始社会から発展するにつれ、婚姻形態も乱婚・集団婚から、一夫多妻婚、一夫一妻婚へと変遷を遂げる。
乱婚・集団婚時代には、女性が暮らしのために性を売ることの必然性がなく、またカネを払って女性の性を買う男もいなかった。
時代が下ると、性の売り買いが生じるようになる。
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスはその著書『歴史』の中で売春は聖なる行為だったと記している。
チグリス川とユーフラテス川ほとりに栄えた古代メソポタミアでは、官能、生殖、愛、豊穣、神の法を司る女神イシュタルを祀る神殿のほか、多くの神殿や聖地があった。
そこでは、女性が性交や出産という神の身業を疑似体験するための、「神聖娼婦」という制度があった。
それは巫女が、寄進を受けた者に神の活力を授けるためとして、性交渉を行う神殿売春を行なうものだった。
売春は神聖なる宗教行事として捉えられた尊い行為であり、バビロニアでは、結婚適齢期に達したすべての女性に対し、結婚への手ほどきが受けられるよう、一度は臨時の巫女・神聖娼婦となって、売春を経験しなければならないとするという義務として課していた。
だが、彼女らは寺院の中に隔離されていたのではない。町で普通に働く者や、中には娼婦もいたのである。
その町の娼婦らは女神イシュタルを自分たちの守護神とし、自分たちは神々に奉仕しているとの認識があった。
娼婦の中にはセックス・セラピスト的な仕事をする者もいた。
シュメール語で、「SA・ZI・GA(心の高揚)」という言葉は、男に声をかけた女が呪文として唱えていたものである。
まじないの目的は男性を刺激してセックスを促すもので、それは生殖、愛、豊穣に直結する奉仕の類いの行為と解釈された。
女はこの呪文「SA・ZI・GA」を唱えながら、特別に調合したオイルを、客のペニスに塗って擦るのだ。
この調合油は、特に勃起不全に悩む男たちに施された。
オイルには媚薬とともに粉末状に砕いた鉄鉱石が混ぜられており、それは摩擦によって刺激が増大する効果があったという。
女は刺激油を塗りながら、男茎を擦ったり、睾丸をもみほぐしたりするなどして、普段の性的行為とは異なる刺激を与えて、その場でインポテンツを治したりもしたのである。
古代ギリシア神話に登場する女神アフロディーテをはじめ、いまも欧州で伝えられる神話の多くが、女神が性に奔放なのも、神聖娼婦の影響によるといわれる。
神殿売春は、紀元前4世紀、キリスト教に帰依した最初のローマ皇帝であるコンスタンティヌス帝がこの習俗を廃止するまで存続している。
性行為の対価として報償を得ることが卑しいという価値観が芽生えたのは当初、神聖視された「子供をもうけるため」、または「神々に奉仕する」という目的から、「貨幣を得んがため」という個人的利益により性を売るようになってからである。
以降、売春は社会秩序を乱す卑しい行為として、広く浸透するようになった。