ふとしたきっかけが、新しいビジネスにつながった。

 中国に渡ってからの15年間、留学から起業に至るまでの道のりを振り返っている。

【前回の記事】「中国で始めた翻訳会社、初の新入社員がやって来た!」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53193)

 中国で会社を立ち上げたものの、シルバーアクセサリーの取引やクレープ作りなど紆余曲折を経て、ようやくたどり着いた翻訳業。中国進出ブームに後押しされ、人も雇えるほどに軌道に乗ってきたが、一方で漠然とした不安も抱えていた。

2003年の中国を襲った恐怖

 永遠に続くサービスはないと分かっていても、毎日忙しくしていれば、それはこれからもずっと続くと錯覚してしまう。心のどこかで「仕事がなくなったらどうしよう・・・」と心配しながらも、目の前の激務に追われて、万が一のこと、次のことを考えていなかった。

 翻訳サービスがそれなりに軌道に乗り始めて約2年。営業らしい営業をしなくても、仕事は常に入ってくるようになった。

 そもそも翻訳という仕事は営業が難しいサービスだ。最高の営業トークや説得術を発揮できても、お客さんが「なるほど、じゃあ翻訳お願いしようか!」となることはあまりない。基本的にはご用聞き、待ち仕事なのだ。前回、作業と営業のバランスが云々と偉そうなことを書いたものの、実質的には、巣で口を開けてお母さん鳥を待っている雛とたいして変わらなかった。

 そして運命の2003年、当時中国にいた方ならあの大騒ぎは覚えているはず。そう、

「SARS大流行」

である。