中国に渡ってからの15年間、留学から起業に至るまでの道のりを振り返っている。
【前回の記事】「中国で地獄の翻訳事業、苛酷すぎてパソコンお釈迦に」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52662)
中国で会社を立ち上げたものの、シルバーアクセサリーの取引やクレープ作りはうまく行かず、開店休業状態だったところに、たまたま舞い込んできた中国語から日本語への翻訳の依頼。パソコンと自分の身を酷使しながら続けてきたその仕事が、ようやく日の目を見ようとしていた。
外注か? 人を雇うか?
それから約2年、あふれかえる資料を、ひたすら家内と二人で翻訳する日々が続いた。これを「会社」や「事業」と呼ぶかどうか意見が分かれるところだが、とりあえずもらった仕事を懸命にこなし、何とかご飯を食べることができるようになったのは僥倖だったと言える。
ものすごいスピードで、それなりのクオリティーの翻訳を提出していたことがよかったのか、噂をどこかで聞きつけた別のお客さんからも翻訳の依頼も舞い込むようになってきた。
こうなると、もはや二人では間に合わない。家内と二人で相談した結果、選択肢は3つ。
1つ目、外部の翻訳会社に外注する。2つ目、自分たちでスタッフを雇う。3つ目、クオリティーを優先するために仕事を断る。
せっかく動き始めた会社なので、3つ目は論外というので、二人の共通意見で却下。残りは1つ目と2つ目の選択肢になった。