何より「中道」というネーミングが響かなかった
一方、敗者である野党、特に「中道」の敗因は、その戦略の拙劣さと準備不足に尽きる。戦後最短と言われる短期決戦の中で、彼らは「新党結成」という逆サイドでの博打に出た。
だが、高市総理と異なり、その全てが裏目に出たと言っても良い。何より「中道」というネーミング自体が有権者に響かなかった。
キャッチーさに欠け、略称も定着せず、古色蒼然としたイメージを払拭できなかった。多様性を掲げながら、国民の目には立憲民主党と公明党の高齢男性を中心とした野合に映ったことだろう。国民民主党や自民党からの離反組を取り込むという広がりも見せられなかった。
さらに致命的だったのは、その政策決定プロセスにおける「永田町の論理」と「国民感情」の乖離である。中道が掲げた政策は、立憲民主党と公明党の間での「痛み分け」の産物であった。
これは筆者もかねてから指摘してきたことである。そして、永田町の論理を見慣れた者ほど、過去の経緯から有権者もそれら「痛み分け」≒妥協の産物を受け入れるだろうと誤認したのである。
エネルギー政策では公明党が立憲に譲歩し「原発ゼロ」を掲げ、安全保障政策では立憲が公明に譲歩し、集団的自衛権と個別的自衛権の議論を「自衛権」という言葉で曖昧に統合して容認する形をとった。
この妥協案は、知的パズルとしては整合性が取れていた。だが現場の候補者や有権者は腹落ちしていなかった。
特に安全保障においては、中国によるエコノミック・ステートクラフト(経済的威圧)や台湾有事の懸念が高まる中、国民は現実味のある安心材料を求めていただろう。
にもかかわらず、中道陣営から発せられたメッセージは、「戦争反対」やハッシュタグキャンペーン、抽象的な平和主義が中心であった。
それらの重要性は論をまたないが、自国防衛の具体策を語る前に、情緒的な反戦を訴える姿勢は、不安を抱える国民の心に響くどころか、現実から目を背けているという不信感を招いたのではないか。
本来、自衛隊による抑止力と戦争回避は両立する概念であるが、その順序と説得力を欠いたことで、野党は「頼りない存在」としての烙印を押されてしまった。