ファシズムを生み出したニューメディア暴走
人間は、繰り返し流される情報を脳が記憶、記銘し、あるいは親近感を無条件に抱いてしまう危険性をはらんでいます。
「アイドル」の商法が成立する根本的な生理原則は、約90年前も今日も、政治の世界においても同様に機能してしまいます。
法律や制度は、そこに歯止めをかけねばなりません。さもなければ通常の民主主義は機能しなくなってしまいます。
約90年前のドイツでは、ラジオ放送で政権与党であったナチスのアジテーションが繰り返し流されました。
アドルフ・ヒトラーはもとより、仕掛け人のヨーゼフ・ゲッペルス、ヘルマン・ゲーリングなどの「タレント」が、威勢のいいパフォーマンスを見せます。
演説は歯切れがよいものの、注意して聞くと内容はあまりない。
一方、映画でもラジオ放送とは別のアジテーションが行われました。当時は映画(ニュース映画を含む)の影響力が急速に増し、映像演出が政治動員と結びつきました。
サイレント/トーキーの移行期でもあり、視覚効果はとりわけ強く作用し、「映え」のする演出が凝らされました。
そして、当時はそうした野放図なメディア情宣を規制し、民主主義を守るための制度設計が、急速に変化するメディア環境に追いつきませんでした。
現役の首相だったヒトラーは、国のリソースを濫用してナチスのメディア情宣を際限なく繰り広げました。現役の首相が選挙でメディアを濫用すれば、国民はたまったものではありません。
ある意味、ヒトラーは「銀幕のスター」でした。
そのヒトラー自身は、1932年の選挙遊説からルフトハンザの旅客機としても使われていた航空機「Ju 52」を用い、飛行機の機動力を駆使してドイツ各地の演説会場を回るのです。
会場を埋め尽くした観衆は、今まで映画で見るだけの存在、ラジオで声を聴くだけの存在であったヒトラーの実物が姿を現しただけで大興奮、熱狂の渦に包み込まれました。
そして、初めて見る「生ヒトラー」が、ラジオで聴いて「事前学習」している同じ声で話すだけで、内容は無関係に観衆が賛同してしまう状態が生じてしまった。
こうしたメディアの濫用を制限なく続けていけば、選挙は人気投票の様相を間違いなく呈します。