「公認辞退」が頭をよぎったことも
月に1回は選対会議が開かれる。地元の市議会、県議会議員がメンバーだった。
その会議は選対委員長が取り仕切る。
その日は、私が支援団体である産業別労働組合にあいさつに行った様子を報告するように、委員長から振られた。私は、どこも笑顔で応じてくれて良好だった旨を報告した直後だった。選対委員長のFが急に言葉を挟んだ。
「おお、そうか! 俺は、まったく違うことを聞いているがな!」
報告者に必要な情報を与えずに、間違った報告をさせる。それを会議の場で罵ることは典型的なパワハラのはずだった。
また、Tが抜けたことによって誰が私のスケジューリングをするのか、議題に上がった。誰も意見を言わないから、私が自分でやります、と発言した、するとFが怒気を含んで言った。
「おお、そうだ! お前がやれ!」
正直、立憲民主党の公認を辞退して東京に戻ろうかとすら考えた。近しい政治家にも相談もした。辞退はできないことはない、ということだった。
それでも行けるところまで行ってみようと決意したのは、ある人物のひと言だった。
「カネを持って来い、お前、カネがないんだろ、と言われて撤退したのでは、本当にカネがなかったのだと思われて終わるだけじゃないか」
それで意地になったところもあった。
だが、こんな調子では選挙にならないのではないか。私の精神もついていけなくなる。そこで当時はまだ現職の衆議院議員で党の三重県総支部連合会(県連)の代表だった中川正春に、毎回の選対会議に出席してもらえるように懇願した。
彼が会議に出席するようになって、どうにか会議中の暴言はなくなった。また、中川は次の選挙には出馬せずに引退の意向を示していたので、自分のところの若い男性秘書をひとり、私に付けてくれることになった。