セツのために松江を去った?
同年(明治24年)11月、ハーンはセツと彼女の家族を連れて松江を後にし、熊本第五高等中学校の教師として、熊本に赴任している(監修・
ハーンがこよなく愛した松江を去り、熊本に移ることを選んだのは、彼が松江の冬の厳しい寒さが耐えられないことと、給料が二倍になることなどの他に、地元で「洋妾(ラシャメン)」と後ろ指をさされるセツを救うためでもあったという(高瀬彰典『小泉八雲の世界―ハーン文学と日本女性―』)。
セツは後年、次男の巌(いわお)の妻・翆に、「人から洋妾、洋妾と言われるのが、一番辛かった」と語っている(長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』)。
また、ハーンは隠岐島の士族の子である熊谷正義という少年を預かり、大切に育てていたが、ある日、正義が洋妾の歌を唄ってセツを侮辱したため、明治26年(1893)に、実家へ送還したという(小泉一雄『父小泉八雲』)。
洋妾と言われ辛い思いをしたが、セツを守ろうとするハーンに、セツも少しは、救われたのではないだろうか。
産婆にキス
明治26年(1893)11月17日午前1時、セツとハーンの長男・一雄が誕生した。
セツ25歳、ハーン43歳の時のことである。
セツの手記『思ひ出の記』によれば、一雄が生まれようとする時、ハーンは「難儀をさせて気の毒だ」ということと、「無事で生まれてくだされ」ということを繰り返し口にし、「こんな時は勉強しているのが一番だ」と、離れ座敷で執筆していたという。
セツは前夜の9時半に、産室に入った。
ハーンは一晩中、眠らずに、子の誕生の瞬間を待ち、無事に生まれたことを知ると、産婆に抱きついて、キスしている。
ハーンは一雄を溺愛し、一雄を産んだセツを、以前にも増して愛しく感じるようになったという。