「予測不可能性」という武器──なぜ攻撃しないのか、なぜ攻撃するかもしれないのか

 1月14日夜、トランプ政権は一旦、イランに対する軍事行動を見送ったといわれる。イラン側から「デモ参加者の殺害を停止した」との報告を受けたためである。だが、これは決して圧力の後退を意味しなかった。むしろ、今回もトランプ大統領の戦略の核心にある、「エスカレーションの可能性を生かし続けながら、驚きの要素と行動のタイミングや方法を選ぶ」という動きが、その後より明らかとなっている。

 イスラエルのネタニヤフ首相と湾岸諸国の首脳が攻撃延期を要請したことも、判断に影響を与えたのであろう。イスラエルが懸念したのは、イスラエルが誇る防空システムが、極超音速ミサイルを含め少なくとも500発を超える規模のイランの報復ミサイル攻撃に十分対処できるか否かという問題だけではない。より深刻なのは、米国の攻撃がイラン国民の反米感情を刺激し、デモで分裂していた国民が逆に政権支持へ回帰する結集する効果というリスクである。

 だが、攻撃の延期は、対イラン圧力の放棄を意味しない。1月23日、トランプ大統領は「中東に大規模艦隊を派遣した。使わずに済むかもしれないが、万が一に備えている」と述べた。この曖昧さこそが戦略の真髄にある。イラン指導部は、いつ、どこから、どのような形で攻撃が来るのかを知ることができない。この不確実性自体が、心理的圧力として機能し続けている。1月26日にも、トランプ大統領はAXIOSのインタビューに答えて、「イランは話をしたがっている」と述べ、依然として外交オプションが存在することを示唆している。

 この点で、イランに対するトランプ大統領のアプローチは、決して即興的でも、イデオロギー的でもなく、国家安全保障戦略の中核原則(戦略的競争、力による抑止、そして抑止のための自制の拒否)に基づいている。

内圧と外圧の致命的収斂

 1月12日以降、表面上はデモが収束したように見える。革命防衛隊地上部隊とバシジ民兵の圧倒的な暴力の前に、街頭からは抗議者の姿が消えた。イラン国営メディアは「秩序の回復」を謳い、ハメネイ師は1月17日の演説で「米国とイスラエルが雇った裏切り者によって数千人が死亡した」と責任を外部に転嫁した。

 だが、これは真の安定ではない。抑圧による一時的な沈黙に過ぎない。根本的な不満(経済的困窮、政治的抑圧、世代間の断絶、宗教的独裁への嫌悪)は何一つ解決されていない。むしろ、6200人以上の死者を出した大規模デモと当局による力による鎮圧は、新たな憎悪の種をまいた。

 従来、イランは国内弾圧を「内政問題」として外部干渉から隔離してきた。だが、トランプは「デモ参加者の大量殺害や処刑は軍事力行使を含む結果を招く」と繰り返し警告することで、この境界線を意図的に曖昧化した。国内弾圧が今や国際的コストを伴うという新しいルールが確立されつつある。