異性愛者、同性愛者が存在するわけ

 宇宙と神々は、自然・世界と一体的で、その背後には、善といった真の姿が控えている。

 プラトンは、肉眼に見える現在の姿・形ではなく、心の目、魂の目で洞察される愛が求めるべき、最も優れた永遠なる美の姿や形を「イデア」という言葉で表現している。

 それは感覚を超えた真実在であり、不完全な人間の感覚では捉えることができない。

 プラトンは対象者を愛することが結果として、一者(神)を愛し、一者(神)の領域に、エクスタシーを経て近づいて行くことができると語る。

 彼は、少年愛をこう賞賛している。

「美しい肉体や美しい魂こそ、愛の美といった心の目、魂の目で洞察される存在の反映であり、想いや執着といったエロスが喚起される」

 彼が記した『饗宴』には、異性愛や同性愛といった性的指向が、なぜ人々の中に存しているか、その由来について説明している。

 それによれば、人間は元来、「男男」「男女」「女女」の3種類の組み合わせを持った二体一身の3種類の両生的人間で、2つの頭、4本の腕、4本の脚を持っていた。

 この両性人間は異常に高い能力があり、強勢を誇り、神を脅かす存在となっていった。

 そこで神々の王ゼウスは、両性人間を2体に切り離し、手足が2本ずつ、顔と性器が1つずつの2人の「半身」、つまり男と女にしたというのである。

 以降、人間たちは互いに失った半身に焦がれて求め合うようになった。

 このように、相互への恋愛は太古のうちに人々に植え付けられたのだが、我々人間が半身としての互いを求め合う理由は、2つの半身を結合させて一体となることで、かつての完全体へと回帰させようとする憧憬と追求がその根底にあるという。

 3種類の両生的人間で元「男女」だった者は異性愛者と化し、「男男」「女女」だった者は同性愛者となった。

 プラトンは、元「男女」と呼ばれていた両性の片割れである男性は女好きで、破廉恥な性質を原型としていると指摘する。

 また、男女の片割れである女性も、男性と同様に多淫な性質を備えていると、こちらも評価が低い。

 一方、両生的人間で割かれる以前の「女女」は、男性に心を奪われず、女子同性愛の傾向を持っているという。

 そして、最も優秀にして有能な者は、両生的人間で元「男男」の組み合わせだった者たちだとプラトンは断言する。

 彼らは男性的なものを求め、身体が本来、男性の一片である少年のうちは大人の男たちを愛し、その人々たちと一緒に横になったり、お互いに相手を抱いたりするのを悦ぶ。

 男性愛一直線の人生を過ごしたプラトンは、自身と同類の元「男男」の組み合わせを賞賛するのだ。