連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識
女学校時代とは勉強よりも花婿候補を見つける期間であった
厚生労働省の発表によれば、30年前の1995年の平均初婚年齢は男性が28.5歳、女性は26.3歳だった。
これが2023年には初婚年齢が約3歳ほど上がり、男性31.1歳・女性29.7歳となっている。
その結果、女性の出産のタイミングが遅れ、さらなる少子化が進行している。
厚労省が2025年6月に公表した 「人口動態統計月報年計」の2024年1年間の国内の出生数は初めて70万人を下回り68万6061人。人口1000人あたりの出生率は5.7に低下した。
1人の女性が生涯に産む子供の数を示す「合計特殊出生率」も、人口が自然に維持される目安の2.07を大きく下回り、過去最低の1.15となっている。
平均初婚年齢が上昇し、晩婚化が進行した理由として「いまの所得では結婚できない」「結婚したい相手との出会いが難しい」など様々な要因がある。
女学生が在学中の結婚を求められたわけ
我が国で未婚の女性が処女であるべき、という風潮が重要視されるようになったのは、西洋の貞操観念が導入されるようになった明治維新以降からである。
当時は家の存続が、結婚の主な目的とされた。
上流階級や裕福な家庭において、結婚は家と家の結びつきとの考えから、今よりも婚姻の繋がりを重くとらえられていた。
家同士の釣り合いや家柄が重んじられ、家格は最低限同じか、相手が上のレベルの家に嫁がせることが理想とされた。
血縁を重視する社会構造から、由緒を貴ぶ家は、花嫁の処女性を重んじたのである。
明治・大正から戦前にかけて、都市部では女性は早く嫁いで良妻賢母となることが求められる。
なぜなら、男尊女卑の時代背景から、現代のように女性は就職して稼いで自由に暮らすといった選択肢がなかったためである。
女学校に通えるのは貴族階級や大名、士族、大店(おおだな)や自作農などの裕福な良家に生まれた息女が主だった。
そこでの教育は、勉強よりも良妻賢母になるためといった傾向があり、嫁いだ後に困らないように、また家として恥をかかないように良き妻になるための嗜み(たしなみ)を身につけることが重んじられた。
女学生の時代は結婚の準備期間であり、花婿候補を見つける機会のため、帰宅したら茶道、華道などの習い事に勤しみ、花嫁修業に励みつつ縁談を待つのである。
卒業までに縁談が決まらなかった女学生は、茫漠とした悲哀を噛みしめながら、売れ残りとか、卒業面(そつぎょうづら)、老嬢(ろうじょう)などと揶揄され、家に居続ければ、ことさら肩身の狭い思いをすることになる。
だが、こうした男女の縁は今も昔も、努力ではいかんともし難い側面がある。
殿方を慄え上がらせるほどの美貌の息女は、高い教養を備えた娘に勝るということは、いつの時代も変わらない現実ではないだろうか。
花嫁として選ばれる一番の要素は、学力や手業ではなかった。容姿の美しい娘から見初められる傾向があり、在学中に縁談が決まったら順番に退学していく。
卒業が近づくにつれて女学校では寿退学が最盛期を迎えた。
明治から戦前にかけての女学生は、主に貴族階級や大名、士族、大店や自作農など裕福な家の息女であった