病を乗り越えてタイトル奪取、終局まで打ち続けた「棋士の最期」
第1期棋聖を獲得した藤沢は、その後の手合いは棋聖戦の防衛に焦点を絞っていた。だが、アルコール依存による自覚症状に悩まされるようになる。自身でもこう語っている。
「酒に飲まれない程度の酒だったら、最初から飲むなと言われてそうだと思っているうちに……年間、ボトル200本以上飲んでいた」
「棋聖戦に合わせて2カ月前くらいから断酒をするわけですが、苦しみは並大抵のものではなく、全身激痛、頭は割れそうで口からは火が出そうで、一晩中寝られなかった」
「幻覚に襲われる。ゾロゾロとお化けとかウジ虫とかいろいろ出てくる。最後に一番でっかくて、すごいお化けが天井から降ってくるんだ。これが自分自身のお化けなんだな(笑)」
もはや自分自身をコントロールできないほどアルコール依存が危険水域に入っていた。
そして、趙治勲(名誉名人)の挑戦を受けた第7期棋聖戦で、藤沢は3連勝のあと4連敗して失冠。その20日後に体調を崩して吐血し、検査の結果、胃がんが見つかった。切除手術を受けた後、病状は悪性リンパ腫へと移行し、放射線治療に臨んだという。見舞いに訪れた米長邦雄には、当時のつらさを交えながらこう語ったという。
「酒が飲めなくて困ったよ。タバコを吸ったら治りませんよと言われると、よけいにタバコを吸っちゃう。治らなくたってどうってことないし。コバルトを当てたから口の中がただれてタバコを吸うとヒリヒリするんですね。ビールを飲んだら飛び上がるように痛い。これが困るんだよ」
驚くのはその後だ。藤沢は治療を経て悪性リンパ腫を克服し、1991年、66歳になって王座のタイトルを奪取したのである。また、翌年には小林光一九段(当時)の挑戦を退けて防衛。67歳でのタイトル保持はいまだに破られない記録である。その後、前立腺がんも罹患するが投薬治療し、何と3回のがんを克服した。大病を乗り越えてタイトル戦線に戻った事実は、多くの関係者に強い印象を残した。
そして、2009年5月8日未明、誤嚥性肺炎により83歳で死去した。息を引き取ったとき、東京の夜空には雷鳴が響いたという。