酒におぼれて引き起こした数々の「笑えないエピソード」

 ギャンブルにのめり込むと同時に、飲酒量も増えていった。藤沢に薫陶を受けた坂井秀至八段は精神科医でもあるが、「医者の立場から言っても、秀行先生はアルコール依存症」と話している。

 毎晩、新宿や銀座、赤坂で飲み歩き、常に正体をなくすほど酔っ払って、近所じゅうに響き渡る大声を上げながら帰宅した。

 夜中に帰宅の気配があれば、妻のモトが飛び起きて玄関を開けるのだが、間に合わないと怒鳴りながら玄関のガラス戸を蹴り破る。そして靴を履いたまま家に上がり込み、お風呂場の戸や台所の引き戸を壊す。

 時には曇りガラスが飛び散った上を靴のまま踏み歩き、拳でガラスを割って手が血だらけになったこともあったという。夜が明けて病院に連れていくと、「おや、またやったのかよ」と医者が驚きもせず言うほど、たびたび大暴れしていた。

 酔って暴れるのは家の中だけではなかった。飛行機で搭乗拒否になったこともあるし、電車内で泥酔して車掌に下ろされてしまうことも何度もあった。繁華街ではプロのボクサー相手にケンカを始め、行きつけだった飲食店の店主が相手にお金を渡してその場を収めたこともあったという。

 藤沢は地元の警察署でも「やっかいな酔っ払い」として有名だったようだ。妻・モトが書いた『勝負師の妻』によれば、ある日、警察からの連絡でモトが迎えに行ったら、藤沢は署長のイスにふんぞり返っていた。その際、連行した警察官は後で署長にこう叱られたという。

「この酔っ払いを誰だか知らないのか? いったい何年ここに勤めているのか。もう署には連れてくるな!」

「藤沢秀行名誉棋聖 生誕百年の集い」に展示された藤沢の写真や碁盤。脇には酒も添えられていた(筆者撮影)