「非認知刺激」を伴う算数・数学演習

図形と割り算から入る小学1年算数

 以下のような問題を考えてみましょう。いまの学習指導要領では、中学1、2年あたりが対象になる問題です。

 コンパスと定規(1ミリ刻みのメジャーの目盛りなどが入っていないもの)だけを用いて、このような極めて単純な作図をしてみよと問う時点で、教育としてセンスが欠如しているのですが、そういう点にはここでは触れません。

 同じ問題を私たちは小学1年生に出題します。ただし全く違う「情動の修飾」を伴う形で問うのです。
 

 この問題は、学齢前の子供に出題しても「正解」がほぼ全員から得られます。どういうことか?「お兄さん、お姉さんや友だちと、ケーキを分けましょう」と問うたうえで
 

 不均等な分け方のケーキを見せます。仮に自分が大きいのを取れればラッキーだけど、誰か強い子がいて大きいのを独占されたら嫌ですよね。

「やだー」という子供が大半を占める。この時点では、まだ出題をよく理解できない子供が混ざっているのが普通です。次に
 

 やはり別の不均等な分け方を見せると、だんだん状況を理解し始めます。そこで、「チョコはあるけれどイチゴはゼロでよいか?」あるいは「イチゴはあるけれどチョコはなくてよいか?」といった具体的な「生活経験」に即したアナロジーを自らの内面で問うたうえで「いい、わるい」の判断をする・・・。

 これには犬でも猫でも同じ反応を示します。

 1匹だけ優遇されていると、てきめんに抗議してくる犬と猫は普通にいるでしょう。これこそが「社会的情動」の最たるもの、つまり「待遇の平等」「お兄ちゃんより少ないの、やだ」「お姉ちゃんの方が大きくてズルい」という、4、5歳児なら十分獲得している「社会的情動」に訴えてくるのです。

 そこで、「正多角形の作図」を「ケーキの平等な分割」として教授するのです。

 3番目に、

 と、3つ見せて「どの分け方だったらいい?」と問うと、大半の子供が第3の分け方に同意します。つまり「知情意」の「意」を先に取り付けておくのです。そのうえで

「じゃ、どうやって平等に、ケーキを3等分するか?」と問うことで、冒頭の「作図せよ」と同じ、どころか、よほど進んだ作図も「お絵描き」として、ほぼすべての小学1年生が実習することができます。

 単に手先で例題を解くのではない、平等の実現などという高尚な話ではなく「お姉ちゃんの方が多いのは許せない」といった「社会的情動」に突き動かされながら、正確に均等な作図法を骨身から吸収していく。

 人間の能力というか業というか、「非認知能力」というべきか、こいつもなかなか凄まじいものだと感じさせられます。

 というのも、2時間ぶっ続けの授業でこれを実施すると、後半では以下の問題を大半の子供が正解できるようになるのです。

 小学1年の教程に「時計」の文字盤があり、これでアレルギーを引き起こす21世紀の小学生への、私たち東京大学のグループが提案する一つの対案は「作図」です。

 ここでは正解には触れません。ご興味の方はぜひご自分で挑戦、あるいはSHIBUYA QWSのイベント、ないしそのストリーミングなど、後日公開予定のコンテンツをご参照ください。

 重要なポイントを一つ、強調しておきます。

 この演習問題は「ケーキを均等に分けたい」という「平等主義」の社会的情動を背景に持ちますが、これは私たちが考えたものではありません。

 紀元前1650年前後に記された「リンド・パピルス」には、ピラミッドに代表される巨大構造物の築造に徴用された労働者への平等なパンの分配法などが記されています。

 私たちの出題は、数学史の古典に従っただけに過ぎません。

 そこに自然な形で、古代人たちの「社会的情動」つまり「パンを平等に配れ!」という強烈なエモーションが湛えられているのは、何とも興味深いと思います。

 こんな具合で(私が敬愛してやまない銀林浩先生が尽力された)「水道方式」に代表される新プランを労作するより以前の「古典」に深く沈潜し、その本質から、人類が「数理思想」を掴みだしていったプロセスそのものを追体験することで、子供たちの「地アタマ」が、逞しく育まれることを願っています。

 世界のオーソドキシーを2030年代なりにリニューアルすること。そのような教育課題に、私たち大学は正面から取り組んでいます。