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教育における非認知能力

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「非認知能力」で様々な教育現場が荒れているようです。

 ここ2週間、小学1年生から中学3年生まで300~400人ほどの子供たちに対して、私自身が教室に赴いて授業していました。

 その際に、休み時間などを利用して現場で大人の方々とお話して痛感させられた点です。

 正確には「非認知能力」なる言葉の意味を理解しない「俄か業者」などが介在して、現場が荒れているらしいというのです。

 そのあたりをはっきりさせる意味も含めて、12月20日土曜日に渋谷スクランブルスクエア「SHIBUYA QWS」でのシンポジウム「生成AI以降、教育をどうすべきか?」でお話しする内容の一部を、予告編的にご紹介してみましょう。

 ちなみに、子供には何の問題もありません。

 私は、小1から中3まで、義務教育のどの学年で「算数」や「数学」を教えても黄色い歓声が上がり、終わった後に「授業が楽しかったと思う人はいる?」と挙手を求めると、大半の子供が手を挙げてくる、やや特殊な授業を行っています。

 特殊といっても私一人ではなく、慶應義塾大学経済学部でタレントの「桜井翔」なども指導した藤田康範教授(数理経済学)なども同様です。

 小中高、どこで教えても歓声が上がる授業をしています。

 藤田君は私が母校(私立武蔵高等学校中学校)の音楽部で高校2年のとき中1の後輩です。「楽しく教え楽しく学ぶ」学統があってのこのような授業が可能になっています。

 今や「特殊」になってしまったかもしれませんが、昨日今日ではない旧制高校以来100年の伝統を実は踏襲しているだけです。

 子供から歓声が上がる「数学」や「物理」、あるいは「英語」でも「国語」でも「地学」でも「音楽」でも教えますが、そのポイントは「非認知能力」の賦活にあります。

 私は別段「非認知」教育のプロとかではありません。でも実は、「非認知能力」の賦活は50年100年前から、知る人には常識なのです。

 私自身、40年ほど「音感教育」の現場で「小さいおともだち」に「涙なしのピアノのおけいこ」などを続けています。

 その中で、子供の気持ちを察しつつ、常にチアー・アップ(cheer-up)し続けてきました。音感教育は随所が「非認知」の最たるものです。理屈で絶対音は取れませんから。

 また、大学院生と並行して始めた音楽の仕事では、20代末~30代初めにかけて地上波番組で視聴率をはじき出す演出仕事もしましたので、こうした工夫はごく普通のことに過ぎません。

 逆に、こうした演出を悪用する「マインド・コントロール」には厳しい批判の光を当て続けてきました。

 これも、オウム真理教事件を描いた「さよなら、サイレント・ネイビー」から、私の本や論説を読んでいただいている20年来の読者ご各位にはよくお分かりかと思います。

 社会的情動コミュニケーション法、ないし「非認知能力」はいくらでも数値化可能です。その「結果」の最たる数字の一つとして、テレビ番組の「視聴率」を挙げておけば十分でしょう。