「鰯の徳さん」が誕生

《鰯》1925年頃 碧南市藤井達吉現代美術館

 小林徳三郎の経歴を辿りながら、展覧会の出品作を紹介していきたい。1884年、広島県福山町(現在の福山市)に生まれた小林徳三郎は1909年に東京美術学校を卒業し、若者による先駆的な絵画表現で注目を集めた「フュウザン会」に参加。その後、雑誌『奇蹟』の準同人となり、表紙画や扉絵、文筆、装幀デザインなどの仕事に携わった。

 生活は貧しかったが、徳三郎は真面目な性格で、どんな仕事にも真摯に取り組んだ。1913年に劇団「芸術座」が結成されると舞台背景の仕事を得て、公演地にも赴いている。そこで知り合った芸術座の看板女優・松井須磨子や劇作家の川村花菱らが徳三郎の画家活動を支援したという。

「芸術座」の仕事を退いた後、徳三郎は1917年から高輪中学にて図画を教え、1923年からは頌栄高等女学校で美術教育にあたっている。少年少女たちを指導しながら、自作の制作に打ち込んだ。

 徳三郎のお気に入りの画題は《鰯》。徳三郎は周囲から「鰯の徳さん」と認識されるほど、何枚も何枚も繰り返し鰯の絵を描いている。展覧会に出品されている鰯の絵は、いずれもカゴや器に盛られた2、3匹の鰯を大胆な筆致で描き切ったシンプルな作品。「鰯の絵の何が面白いのか?」と尋ねられると「味わい」としか答えようがないが、見れば見るほど鰯の絵に惹きつけられる。《鰯》は院展洋画部に入選し、若い画家たちにも大きな影響を与えた。