朝ドラに相応しい手法で戦争を見事に描く技

 のぶのセリフはよく話題になった。1964(昭39)年に、嵩に向かって口にした言葉もその1つ。第105回だった。のぶは嵩と結婚し、東京で暮らしていた。

 嵩が作詞し、いずみたくさんをモデルにしたいせたくや(大森元貴)が作曲した童謡『手のひらを太陽に』がヒットした直後だった。

「精一杯頑張ったつもりやったけど、何者にもなれんかった。そんな自分が情けなくて」(のぶ)

 嵩にとって欠かせないパートナーだったのぶは、はたして何者にもなれていなかったのだろうか。子供のころ、父親・結太郎(加瀬亮)から大志を抱けと言われたため、自らの目指すものが大きすぎただけではないか。もっとも、この成長意欲の強さはのぶの長所。この朝ドラを支える柱の1つでもあった。

 のぶとは好対照で、ずっと野心が見えなかったのが嵩である。しかし、創作者としてのプライドは高く、芯も強かった。116回から118回には逆転しない正義が下地にある『アンパンマン』の絵本をつくり上げる。1973(昭48)年、57歳になっていた。

 それから約30年前の1942(昭17)年から1945(昭20)年、嵩は従軍生活を送った。第50回から第59回である。

 嵩の配属先は陸軍の小倉連隊。柳川氏ら演出陣はまず木造兵舎を精巧に複製した。渥美清さんが主演した「拝啓天皇陛下様」(1963年)などの旧作戦争映画のセットと遜色なかった。

 敗戦から80年が過ぎ、軍隊を再現するのは簡単ではなくなっている。それでも『あんぱん』は出来る限り真実味を出そうとしているのが分かった。戦前のままの起床ラッパなどを流すのも忘れなかった。