視聴者の心を波立たせた「蘭子のモデルは向田邦子さん? だとしたら…」の懸念
印象深い登場人物が数多かったが、ひときわ心に残ったのは、のぶの長妹・蘭子(河合優実)である。実家の「朝田石材店」の若き石工・原豪(細田佳央太)と結婚を約束していたが、豪は戦死する。
『あんぱん』でもその演技力の高さが注目された河合優実(写真:VCG/アフロ)
1939(昭14)年だった第37回、豪の戦死が朝田家に知らされた。その夜の蘭子は寝ようとせず、位牌に向かって「豪ちゃん、お腹が空いたねぇ」と、うわごとのようにつぶやいた。愛する人を失った人間の憔悴ぶりを表す名場面だった。
蘭子は1948(昭23)年、勤めていた高知の会社の都合で、東京に居を移した。27歳のときだった。1960(昭35)年からは映画雑誌に寄稿し始める。39歳だった。1964(昭39)年にはフリーライターになって、八木の仕事を手伝うようになる。8月26日放送の第107回だった。蘭子は43歳。2人の距離は縮まる。
この時期から複数のネットマスコミが、蘭子のモデル、モチーフは脚本家で直木賞作家の向田邦子さんだと書き始めた。だが、NHKの公式発表はない。地方紙も含めて新聞は1行も書いていない。
もしも向田さんがモデルだったら、向田さんの妹でエッセイストの向田和子さんがコメントを出してくれそうだが、これもない。そもそも蘭子と向田さんの共通点は映画雑誌に関わっていたことくらい。
向田さんは1981年、取材旅行中の台湾で航空機事故によって亡くなった。51歳だった。蘭子は129回に海外へ難民キャンプの取材に出掛けたが、まさか向田さんの事故とは関係ないだろう。向田さんにはファンは多いので、NHKは簡単にでも説明したほうがいい気がする。
『アンパンマン』が誕生するまでの歴史など、やなせさんと周囲のサブカルチャー史も興味深かったが、やはり人々が命懸けで生きていた第60回までの戦前編に惹かれた。ここまで戦争を活写する朝ドラは2度と生まれないのではないか。



