いくぶん女性的な顔立ちの美少年
大谷正信が学ぶ島根県尋常中学校に、ラフカディオ・ハーンが英語教師として赴任してきたのは、明治23年(1890)9月のことである。
大谷正信は15歳、ハーンは40歳だった。
抜群の英語力を誇る大谷正信は、ハーンに気に入られたようである。
『己がこと人のこと』によれば、大谷正信はハーンから、「冨田屋に泊まっているので、時々、遊びに来い」と誘われたという。
ハーンは彼の作品「英語教師の日記から」(『小泉八雲作品集 1(日本の印象)』所収)において、大谷正信を「ほっそりとして、いくぶん女性的な顔立ちの美少年である」と称している。
大谷正信は控えめで落ち着いた物腰で、上品な感じがし、どちらかといえばまじめで、あまり笑わない。彼が声を立てて笑うのを、ハーンは聞いたことがなかったという。
クラスの首席になっても、大谷正信はそれほど努力しているようにはみえなかったが、それでも、一番を下らなかった。
大谷正信がハーンの家を訪れる時は、たいていハーンが興味を持ちそうな仏教か神道の祭りに招くためだったという。
翌明治24年(1891)、ハーンは島根県尋常中学校を辞め、熊本の第五高等中学校に赴任するが、その際に大谷正信が生徒代表で送辞を述べている。