日本の野球殿堂入りした野球人には、賞金100万円と野球殿堂博物館に掲げられるレリーフ(銅製胸像額)のレプリカが与えられる。年金などの報酬はない。
「殿堂入り」で上がる野球人としての格
しかし、殿堂入りすることは、少なからぬ恩恵を与えるようだ。
ある殿堂入りした野球人は、「プロに入った時は野球殿堂なんて考えたこともなかったが、野球選手については、究極の栄誉だろう。それだけでなく、講演会などでも『殿堂入り』となれば格が上がるし、講演料にも影響する」と語る。
2025年1月16日、野球殿堂入りが決まりスピースするイチロー。5日後にはアジア人として初のアメリカ野球殿堂顕彰者にも選ばれた(写真:共同通信社)
1959年、最初の野球殿堂は特別表彰として、プロ野球を創始した正力松太郎や、野球普及に尽力した平岡凞(ひろし)、青井鉞男、安部磯雄など9人を選出したが、草創期の野球人や経営者が中心で、プロ野球選手は、草創期の大エース、澤村榮治(通算63勝)だけだった。翌60年、競技者表彰で、ヴィクトル・スタルヒン(303勝)が選出された。以後、1979年までは初の三冠王中島治康(63年889安打)、川上哲治(65年2351安打)、鶴岡一人(65年790安打)など戦前にデビューした選手の表彰が続いた。
1980年に初めて戦後デビューの大下弘(1667安打)が表彰され、1988年には長嶋茂雄(2471安打)、金田正一(400勝)が選出され、ようやく戦後のプロ野球を盛り上げたスター選手が選出されるようになった。
この時期までの選手表彰は、記録だけではなく戦前、1リーグ時代に大活躍した選手、応召して戦死し前途を絶たれた名選手などが中心だった。
しかし以後は、通算成績が重視されるようになる。投手は200勝、打者は2000安打が目安となった。200勝投手は現在に至るも1人を除いて殿堂入りしているが、打者は初の達成者の川上哲治から、9人目の江藤慎一までは全員殿堂入りしたが、以後は、2000本をクリアしても殿堂入りしない選手が増えていく。
投手は200勝は殿堂入りの「十分条件」だが、打者の2000安打は「必要条件」になった感がある。