この世における最も理想的に幸福な夫婦

 セツと八雲の長男・小泉一雄によれば、八雲は一雄には、朝夕の2回、英語の授業を行なった。

 だが、セツには「教えてください」と頼んでいるのにもかかわらず、少しも教えなかった。

 一雄に教えているところを、セツが立ち聞きして覚えようとしても、「あなたには他にあなたの仕事があります」と立ち退かせ、「あなたが英語が達者になれば、つい言わぬでもよいことを西洋人に話したりなどして、ろくなことはない」と、セツには自然に聞き覚えた2、3の単語以外は、英語を知らしめなかったという(小泉一雄『父「八雲」を憶う』)。

 けっきょくセツの英語はものにならなかったが、語り部としての才能を発揮した。

 セツは八雲に昔話や怪談など多様な話を語って聞かせ、名作『怪談』の「耳なし芳一」や「雪女」など多くの再話(もととなる話を独自の解釈や文飾で再構築する創作方法)作品を、生み出すことになる。

 詩人の萩原朔太郎は、「小泉八雲の家庭生活」(『萩原朔太郎全集』第8巻所収)において、「人生でいちばん楽しい瞬間は、だれにも解らない二人だけの言葉で、だれにも解らない二人だけの秘密や楽しみやを、愛人同士で語り合っている時である」というゲーテの言葉を引用し、セツと八雲を「同じ家の中に住んでる家族の者にさえも、ほとんど全く解らない不思議な言葉で、何時間も倦きずに睦じく語り合ってた二人の男女こそ、この世における最も理想的に幸福な夫婦であった」と称している。

 ドラマの松野トキとレフカダ・ヘブンも、今はすれ違いも少なくないが、きっと「この世における最も理想的に幸福な夫婦」となった姿を、我々視聴者に見せてくれるだろう。