新陳代謝のなさから生まれる馴れ合い
さらに、NPOセクター特有の構造的課題も無視できない。
1990年代後半から2000年代初頭に台頭した「若手」リーダーたちは、2025年現在もなお「業界の顔」として君臨し続けている。20年以上にわたり主役が交代しないことで、業界の新陳代謝は失われ、評価する側(資金分配者)と評価される側(受託者)が極めて親密な人間関係の中で固定化される「馴れ合い」の構造が生じている。言うまでもなく健全なガバナンスを機能不全に陥らせる温床となりうる。
もう一つは制度上の課題だが、NPO法における「経済的インセンティブの制約」である。日本のNPO法は、経営者や職員がビジネスセクター並みの報酬を得ることを想定しておらず、経済的なリターンを限定的にすることを求める建付けになっている。
優秀な人材をつなぎとめるための正当な報酬体系の確立は、セクターの持続可能性にとって重要な課題である。
ただし、ここで強く戒めなければならないのは、今回の事例をもって「NPOセクター全体」を断罪することの危険性である。各種データが示すのは、我々が抱く「NPO」のイメージと実態との間に巨大な乖離があるという事実だ。
メディアで華々しく取り上げられる「社会を変える若き社会起業家」や、数億円規模の事業を回すNPOは、実は統計的には極めて稀な「例外」に過ぎないからだ。
内閣府の『2023年度(令和5年度)特定非営利活動法人に関する実態調査報告書』によれば、NPO法人の代表者の大半は60代から70代の高齢者であり、事業収益の中央値は年間わずか600万円程度(認証法人の場合)なのである。
つまり、日本のNPOの主流は、社会起業家ではなく、定年退職した高齢者らがまちづくり、地域清掃、伝統文化の継承、高齢者の見守りなどを行う「町の互助組織」なのである。地域社会の隙間を埋めるボランティア活動の延長として法人格を利用しているに過ぎない。
こうしたNPOの場合、「社会起業」をしているという意識すら薄く、地域社会の隙間を埋めるボランティア活動の延長として、契約や口座開設の利便性のために法人格を利用しているに過ぎない。
これら大多数の「草の根NPO」と、今回疑惑の渦中にある「エリートNPO」は、同じNPOという看板を掲げていても、その組織論理、資金構造、ガバナンス能力において、全く別物であることはもっと知られるべきだ。