脆弱だった草の根活動が拡大してきた背景

 時計の針を1990年代に戻そう。かつて日本において、ボランティアや市民活動は法的な後ろ盾を持たない、脆弱な草の根の活動に過ぎなかった。特に自民党政権下において、市民活動はしばしば反体制的な運動と同一視され、警戒の対象ですらあった。

 しかし、1995年の阪神・淡路大震災におけるボランティアの爆発的な活躍(「ボランティア元年」)が潮目を変える。

 これを機に、市民の自発的な活動を支援するための環境整備が急務とされ、1998年に特定非営利活動促進法(NPO法)が成立した。これにより市民活動団体は「NPO法人」という法人格を持ち、契約主体となることが可能となった。

 続いて2000年代に入ると、ITベンチャーブームと呼応するように「社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)」という概念が日本に輸入される。ビジネスの手法を用いて社会課題を解決するというこの新しいモデルは、従来の「清貧」なボランティア像とは一線を画す、革新的でスマートなスタイルとして脚光を浴びた。ITブームやイノベーションへの関心の高まりとも結びついている。

 2009年の民主党への政権交代がこの流れを決定づける。同政権が掲げた「新しい公共」というスローガンのもと、鳩山政権は社会起業家たちを政府のパートナーとして政策決定の場に招き入れた。

 さらに2011年の東日本大震災は、復興支援のために巨額の公的資金や寄付金が非営利セクターに流れ込む契機となり、活動の規模は急速に拡大した。その過程で資金を「回す」ことへの関心が高まった。筆者はそこにいささか無理があったように感じている。

 同時にこの過程で一部の有力な社会起業家やNPOリーダーたちの間に醸成されたのは、ある種の「合理性」であった。彼ら彼女らのなかには、イノベーション志向の強いコミュニティを背景に持ち、日本社会の既存の行政手続きや前例踏襲主義を「非効率な障害物」とみなす雰囲気があった。

 実証するのは難しいのだが、「社会を変える」という崇高な目的のためには、煩雑な手続きを「ハック」し、政治家や有力者との個人的なネットワークを駆使してショートカットすることが、一種の「実務能力」として称揚される空気感があったように思われる。