「1分間指揮者コーナー」が人を育てる理由

 今回の行事は、調布市との共催ですので、「第九」の指揮者教室の告知を、教育委員会のメーリングリスト「すぐーる」を通じて小中学校に「AI以降の世代を育てる」東京大学STREAMMの枠組みで「一分間指揮者コーナー」の募集を出していただきました。

(編集部注:教育におけるSTEAMはScience, Technology, Engineering,  Arts, Mathematicsの略で、分野横断的な総合教育を目指す教育方針。東大STREAMMは中身を少し組み替えている→筆者が後述)

 この背景についても、12月20日、先にご紹介した渋谷QWSで、こちらは甘利俊一先生、杉原厚吉先生の数理工学両巨頭にご登壇いただき、AI以降の小学生のための算数国語理科社会と英語教育のワークショップがありますので、情報科学や脳科学のメカニズムを紹介したいと思います。

 一番分かりやすく言うと、AIが普及すると、子供たちの教育レベルは一通り「下書き」はすぐに整うのですが、そこから先が問題になる。

 つまり「あまりできの良くないAI出力」を「使い物になる本番用にブラッシュアップ=磨き上げる」のが、仕事の大半というか、その人の社会的なクオリティを決める重要な要素になってくるわけです。

 この観点から「音楽」「演奏」そして「指揮」という職掌を考えてみましょう。

 演奏家の前には、すでに印刷されて出来上がっている「楽譜」があります。しかしそれは「完全」ではありません。

 ベートーヴェン「第九」にも、よく知られた「難所」がいくつも知られ、それをどう退治していくかが、演奏家や指揮者にとって腕の見せ所となる。

 つまり「解釈力」が必要なわけですね。あるいは、必要なら随所を書き換えて行く「筆力」も必須不可欠になる。

 この構図、AI以降の仕事の流れとそっくり同じであることに、お気づきいただけるかと思います。

 一つは、既にある楽譜を必要に応じて直し、きちんと通用するものにする音楽。

 もう一つは既にあるAI出力を必要に応じて直し、きちんと通用するものにする仕事。

 実際、日本では2010年代半ばにスタートしたSTEAM(スチーム)教育は、いまだに役所にも予算がついているようですが、欧州先進圏では10年前の時点で、理数モノカルチャーでつぶしが聞かない労働者を作り、個人の未来を損ねる不適切な教育との批判も出ていました。

 実際に2022年以降、生成AIの登場で、大量の人員整理対象者が生まれてしまっています。そしてその先の社会ニーズの中で、適切な次の職を見つけるだけの、個人としての足腰を十分に身に着けられていない。

 こういう人口が増えると、20世紀初頭もそうでしたが、失業率の上昇とともに社会が右傾化し、ナチス・ドイツの台頭を許してしまった歴史が蘇ってきます。

 その悔悟があるので、ドイツではそのようなモノカルチャー「単細胞教育」のような人材育成に強い警戒心を示すわけです。