非認知能力「専科」の音感教育

 しばしば「AI以降」の人材育成では「非認知能力」の育成が重要で、しかし「非認知能力養成は難しい」という、かなり初歩的なミスが変に流布しておかしなことになっているのをよく見かけます。

 認知能力と呼ばれるものの多くは、記号演算によって論理的にほぼ一意に結果が定まりますので、従来のコンピューターや機械学習によるAIシステムによって代替できてしまう。

 だから、そればかり一所懸命お勉強するような「入試」を突破しても、その先の人生が思いやられる・・・という袋小路が懸念される。

 これに対して、記号操作を超えた判断や処理能力を問われる「非認知」はAIに代替できない、ないし極めて困難です。

 これを養成したいが、難しい・・・ではないのです。かつては「情操教育」とかいろいろ呼ばれ方をしていましたが、「情操教育じゃ受験戦争を勝ち残れないんだよ」式の論法で軽視されてきた部分に、ことの本質があるわけです。

 指揮者の仕事は、音という記号化困難な対象(音符は音楽のガイコツほども示すことはできない)に対して、瞬間的な判断と、身振りや手振り、身体技能を用いて反応して、音楽を望ましい方向に引っ張っていく、究極の「非記号操作的」「非認知能力」を問われる職業として200年の積み重ねを持っています。

 それを、お金は要りませんので、どうか一人でも多くの子供に、また精神の若い世代に共有していただきたい。

 正味その気持ちで、これらのプロジェクトに取り組んでいるわけです。人の一生を支える叡智が、明日の日本を、国際社会を、安定して支えることができるように。