歴史のパラドックスか僥倖か
ただ、それで話がまとまるかと言えば、そうではない。主権、国家アイデンティティ、政治、そして課税などは依然として国家単位だ。単一市場の完成が非常に困難であるのはそのためだ。
このことは、互いの動きを調整しなければ「タダ乗り」が必ず生じる防衛においては、特にそうだと言える。
もっと言えば、最先端の科学技術においては規模の経済、範囲の経済、そしてとりわけ集積の経済が非常に大きな役目を担う。
ポール・クルーグマン氏が指摘しているように、デジタル革命がシリコンバレーに集中しているのは偶然でも何でもない。
このようなスーパークラスター(同様な分野の企業や研究機関が多数集積している土地)を果たしてヨーロッパ人は受け入れる(もしくは構築できる)だろうか。それは疑問に思わざるを得ない。
もしそうなら、かつ、それが生産性のみならず安全を守る能力をも圧迫することになれば、欧州は自分たちの歴史のパラドックスに苦しめられているというのが結論になるかもしれない。
各国を強く豊かな国にした欧州の細分化は、新しい世界においてはその継続を妨げる要因になる、ということだ。
大陸規模の超大国が幅を利かせる時代には、欧州の細分化は乗り越えられないハンディキャップになるのかもしれない。
しかし、もっと明るいシナリオを描ける可能性も存在する。
巨大な国家にとって、帝国的硬直化は依然脅威だ。この現象は今日の中国の行き過ぎた中央集権化や、米国における腐敗した独裁政治構築の試みにも見受けられる。
ひょっとしたらヨーロッパ人は、古代ローマが崩壊したことを、そして数々の取り組みにもかかわらずその復活が成功していないことを喜ぶべきなのかもしれない。