アナログとデジタルの間でゆらぐ存在

 1980年代の電子楽器開発はリアルな再現を競い合う時代でした。PCM音源が登場し、生演奏をいかに本物らしく再現できるかが評価の基準となったのです。

 つまり、より人間に近い音を目指す方向でした。

 ところが、この完璧な再現を追求する流れは、皮肉にも音楽から人間味を奪ったのです。

 同じサンプルを誰もが使い、同じような曲が量産される。技術的には進化しても、文化としての多様性はむしろ失われていったのです。

 TR-909はその流れの中で異端でした。

 生ドラムを模倣しきれず、デジタルとアナログの間で揺らぐ存在。その中途半端さが逆に新しいリズム表現を生み出しました。

 完璧ではないことが創造の余白を残したのです。この構造は、のちにデジタルアートやCG(コンピューター・グラフィックス)、映像技術などにも通じる普遍的な法則になりました。

 完璧な再現性よりも、不完全な余白が人の想像力をかき立てる。TR-909はその最初の象徴の一つでした。

 技術が進化しても、それが文化になるには時間がかかります。

 TR-909が発売された当時、人々の耳はまだアナログレコードの音に慣れており、電子音楽を受け入れる素地がありませんでした。

 しかし、数年後にはアンダーグラウンドなクラブシーンが台頭し、彼らがTR-909の音を新しいリアリティとして受け入れたのです。