高市首相と小泉防衛大臣に関連する共通の棋士

 実は、前記の自民党総裁選の決選投票に残った高市首相と小泉防衛大臣に関連する共通の棋士がいる。「泥沼流」の棋風を標榜し、1993年に最年長の49歳で名人を初めて獲得した米長邦雄永世棋聖である。

 泥沼流とは、選択肢を広げて戦いを複雑にする指し方。米長はその流儀を駆使して大きな勝負を戦い抜いた。

 米長が89年にテレビキャスター時代の高市と対談したとき、泥沼流について説明すると、高市は「それは先進国の考え方ですね」と言ったという。

 高市の話によると、先進国は先に進んでいるので、いろいろと複雑なやり方がある。一方の発展途上国は、単純にわかりやすくしないと先に進めないとのこと。そして「(呼び名を)“泥沼流”はやめて“先進国流”に変えたらどうですか(笑)」と、米長に提案した。

 米長永世棋聖は2000年、ある週刊誌で衆議院議員の小泉純一郎と対談した。主なテーマは青少年の教育問題で、熱く語り合った。

 小泉は「学校での習熟度別の教え方が大事です。勉強ができる子はどんどん先に行かせ、わからない子は時間をかけて教える。それは差別ではない。機会は均等に与えるが、能力差を認めることだ」と主張した。

 米長は「教育で大事なのは、子どもたちに《闇を与える》ことだと思います。例えば、暗い森の中に子どもたちを放り出すと、怖いから誰かの手を握ろうとする。それが連帯感になり、自然に対する畏敬の念も生まれます」と持論を述べた。

 小泉は将棋を指さないが、米長が1980年代に週刊誌で連載した『泥沼流人生相談』の愛読者だったという。

 米長は小泉と以後も交流を続けた。息子の進次郎が私設秘書になると、食事に誘うこともあった。

 2012年12月に米長が69歳で死去した。09年に衆議院議員になった小泉進次郎は通夜に訪れ、「気さくな方でした。いつも頑張れと言ってくれました」と故人をしのんだ。