オリエントの美の原点だったペルセポリス

 ペルセポリスは、20世紀に本格的な発掘がなされるまで、灰や土砂に埋もれたまま永い眠りにつく。それゆえに精緻な浮彫りや、宮殿・大基壇の構造が保たれ、壮麗な“廃墟”として甦ったのだ。宮殿跡からは焼け焦げた布の断片や、宝石や貴金属のかけらが出土している。アレクサンドロス大王は焼き討ち後に、徹底的に略奪したのだ。

 大量に発見された古代ペルシア楔形文字で記された粘土板は、19世紀には完全に解読され、ダレイオス1世による治世下の財務状況まで詳らかになった。莫大な富が、王都に集まっていたのだ。大王が手にした黄金などの戦利品は、現在の価値で500億円を超え、1万5千頭ものラバやラクダでやっと運べる程だったという。

浮彫りで彩られた宮殿跡 写真/フォトライブラリー

 かつてのペルシア帝国には5つの都があり、宮廷は季節ごとに移動し、ペルセポリスは新年を祝う儀式(春分の日)のための都だった。新年、帝国内の23の属州から35の民族が特産品を持って、皇帝ダレイオス1世に接見したのである。

 ペルセポリスには、参賀に訪れた大使節団を畏怖させる仕掛けが満ちている。大階段の前にたたずみ見上げると、目に入るのは南北450m、東西300mの大基壇だ。すべての建築物は、この大基壇の上に聳え立つ。ラフマト山の岩盤にかぶせた高さ12mの人工物で、高層ビルが横倒しになったような威圧感があり、左右2方向からスイッチバック方式の階段は幾何学的な美しさをもつ。幅7mで1段わずか10cmという階段を、王はゆったりと馬に乗ったまま宮殿に向かった。

 昇るにつれ、巨大なクセルクセス門が顔を現す。その門柱から飛び出して、体が牡牛で背中に翼をもち顔は人間の“神獣”が睨みを利かせている。上部には、バビロニア語・古代ペルシア語・エラム語の3つの言葉で、銘文が刻まれている。

「征服せる全世界の国々の記念門として、この門をつくる」

人面有翼獣神像があるクセルクセス門 ハンスエリ・クラプフ, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 回廊をくぐり抜けると、さらに高さ3mの壇上に最大の宮殿アパダナ(謁見の間)が建つ。天上に向かう城壁にびっしり浮彫りで、各国の大行列が再現されていた。黄金の腕輪をささげる三角帽のスキタイ人、スパイスを運んでいる上半身裸のインド人、ちりちり頭のエチオピア人が持つのは象牙とキリンの子供……見事なまでに精緻に、民族の衣装や風貌と献上品を描き分けている。

 言葉も習慣も異なるあらゆる民族がアパダナで一堂に会し、その大広間にはレバノン杉の天井があり72本の石柱が支えていた。エジプトのロータス(蓮の花)装飾や、ギリシャ由来のタテ溝が刻まれた円柱を取り入れている繊細な柱だった。まさに多民族国家ならではの文化の集大成で、そこに直角をモチーフにしたペルシア独自のスタイルを加味した。オリエントの“美の原点”といえるだろう。

アパダナと呼ばれた謁見の間 写真/フォトライブラリー

 玉座殿の門柱には、ペルシア領内の多様な民族に担がれた玉座に、皇帝ダリウスが腰かける姿がある。その上空に翼のついた円盤に乗り、宙を飛ぶ謎の男性像……それがゾロアスター教の善神アフラ・マズダーだ。ゾロアスター教は古代ペルシアで発祥した善悪二元論を説く世界最古の宗教のひとつで、火を崇めることから「拝火教」とも呼ばれる。

 アケメネス朝ペルシアでは、ほとんどの人々が信仰していた。王権はアフラ・マズダーにより与えられ、国が加護される象徴だった。イスラム革命で知られるイランだが、千数百年もの日々をゾロアスター教に守られてきたと、遺跡が物語っている。

 乾燥した高原地帯にもかかわらず、ペルセポリスは水に恵まれていた。2020年、それを裏付ける排水溝がアパダナの中庭から発見される。基壇の下に貯水槽を設け、水路のシステムをめぐらせていたのだ。

 古代ペルシアは「カナート」と呼ばれる地下水路の始まりの地で、山麓の地下水を掘り当て、トンネルを伸ばして自然に低地へと水を運び、田畑の灌漑や村の飲み水に利用した。砂漠にはそれを掘るためのタテ穴が、巨大なアリ塚のように点々としている。

 カナートの数は5万本といわれ、現在もイランを潤しているだけでなく、その土木技術は北アフリカや中央アジアに伝わった。その内の11本が世界遺産「ペルシアのカナート」(登録2016年、文化遺産)に認められている。

 高度な文明を極めながらも、すべてが灰燼と帰したペルセポリス。彼らが生んだ“美の世界”も後の世に継承されなかった。ペルシア文明は、古代ギリシャやローマ帝国に比肩しうる影響力をもつのに、未だ世間に流布していないのが何とも残念である。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)