低下するBPOの威厳
2019年7月に日本テレビのバラエティー番組『世界の果てまでイッテQ!』が放送倫理違反となったことを踏まえて、BPOは「反省が局内で十分に活かされていなかったのではないかと疑念を抱く」と批判しています。BPO自身の嘆きのようであり、機能そのものの無力感さえ漂います。
BPOは「放送の番人」となるべく、NHKと民放によって設立され、放送倫理の醸成など一定の役割を果たしてきました。しかし、BPOの意見を形式的に受け止める慣習が生まれ、BPOは助言機関に過ぎないという限界が見え始めているのかもしれません。
BPOが事案を審議し、放送倫理違反の判定を下す“実績”を積み上げるほど、放送倫理が霞んで、違反の重みが軽くなっていきました。それと同時にBPOの威厳が低下している皮肉が強まっていると思います。
それでも、政治介入を防ぐ防御壁であり、視聴者の批判を冷却する装置として、放送局にとってBPOは重宝する存在でしょう。ただ、そうした、ほどよい関係に浸かっていてよいのか疑問を感じます。
今回の『夜ふかし』のBPOの決定について、SNS上では「調査だけで処罰できないBPOの存在意義を問うもの」「不正行為をしたテレビ局に金銭的処罰や放送停止を求めるもの」など、対応に不満を抱いている人が多いことがわかります。SNS上なので、過激な意見が飛び交う側面があるとしても、荒唐無稽な意見だと切り捨ててよいとは思いません。
放送局は報道機関として、悪事を掘り起こし、不正を厳しく追及する立場でありながら、自分たちの悪事や不正への対処が甘すぎる——、そう国民が捉えるのは自然です。不釣り合いさが許容できないという心理も理解できます。
『月曜から夜ふかし』の事案について、BPOが審議入りしてから決定を下すまで6カ月もかかっています。関係者を聴取して事実関係を明らかにするには、それなりの時間が必要なのはわかりますが、あまりに悠長ではないでしょうか。