熊との共存でマタギが果たしている役割

 マタギも同様で、熊を獲ることはこの土地の人々にとって暮らしの一部であり、何にも替えることのできない行為である。

 日本ほど、熊と人が密集した土地で共に暮らしているという場所は世界中見渡しても他にない。特に秋田県はとりわけ密集度が高く、その中でも今まで人的被害が少なかったのは、このマタギという特有の文化の影響なのではないかと推測できる。

 巻狩りと呼ばれる集団猟により、熊に対して威嚇をし、ここから先は人間が住む領域として認知させる。それを数百年以上前から毎年欠かさずやり続けていれば、当然熊も寄り付かなくなる。

 自己防衛であり、暮らしを守るための手段であり、熊と共存するための智恵でもある。全国的に狩猟者が減る中、狩猟者を増やそうとする取り組みがある一方で、辛辣な事件などがあり、それを良しとしない動きもある。

 日本は銃の規制が厳しいのは良いことだと思うが、本当に必要な人や場所では特に有意義に用いられるような仕組みを作り、狩猟=趣味ではなく、もっと大きな大義の元に、暮らしに必要なものとして理解が深まる世の中になってほしい。

マタギの存在が熊と人間の棲み分けを可能にしたマタギの存在が熊と人間の棲み分けを可能にした
マタギは、熊と共存するための知恵だったマタギは、熊と共存するための知恵だった

 改めて言うが、我々は熊を殺したいのではない。有害駆除として檻に入った熊を撃つ時の気持ちを想像できるだろうか。圧倒的に優位な立場で、銃を構え、檻の鉄格子の隙間から熊の頭部を狙う。その瞬間「命」というものを考えずにはいられない。「ショウブ!」の勝どきさえ上がらない。

 銃声の後の静かな沈黙は、命と向き合う時間だ。地球上すべての生きとし生けるものの命は等価であり、スーパーで並ぶ牛や豚、鶏もすべて同じ命だということを改めて考えることが必要だと思う。人間はそうした「命」によって生かされている存在だということを今一度認識しなければならない。