強制的禅譲劇の舞台裏

 宗室の有力者で政治家の趙汝愚(ちょう じょぐ)が動いた。高宗の憲聖慈烈皇后呉氏は、数え80歳という高齢ながら健在で、汝愚は、呉氏の妹の子である韓侂冑(かん たくちゅう、1152年─1207年)を使って、密かに太皇太后に繰り上がった呉氏と連絡を取ったのだ。

 呉氏は高宗の皇后で皇室の長老という権威のもと、光宗を退位させ、嘉王を即位させた(第四代皇帝・寧宗。在位、1194年─1224年)。この強制的禅譲劇は、皇位が皇室内部で継承された「内禅」だったので、この事件を「宋光宗内禅」と呼ぶ。

 上皇となった光宗は、祖父や父と違い実権を全く持たなかった。李鳳娘も名目上は皇太后にくりあがったものの、権力を失い失脚。6年後の1200年、李鳳娘は旧暦6月4日に56歳で病死し、慈懿皇后と諡された。光宗は彼女のあとを追うように、旧暦8月8日に54歳で死去した。

後宮 宋から清末まで』(加藤徹著、角川新書) 

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