「モーリス・ユトリロ展」展示風景。《マルカデ通り》1909年 名古屋市美術館
(ライター、構成作家:川岸 徹)
フランス国立近代美術館(ポンピドゥセンター)所蔵の10点を核に、ユトリロの画業を年代順でたどる展覧会「モーリス・ユトリロ展」がSOMPO美術館で開幕。母シュザンヌ・ヴァラドンをはじめとする家族との複雑な関係が浮かび上がる。
波乱に満ちたユトリロの生涯
20世紀初頭のパリの街並みを独自のまなざしで描いた画家モーリス・ユトリロ(1883-1955)。エコール・ド・パリを代表する画家のひとりとして知られ、日本でもこれまで幾度となく展覧会が開催されてきた。
そんなユトリロには、常に波乱万丈な人生の物語が付いて回る。残された作品の芸術性のみで評価されるべきと感じる人もいるだろうが、ユトリロの作品は彼の生い立ちや私生活と結びつきが深い。そして、その数々の逸話がユトリロの作品世界に豊かな物語性を与え、ミステリアスとも魅力的ともいえるユトリロの特異な人物像をつくり上げている。
まずはモーリス・ユトリロの生い立ちについて簡単に紹介したい。
母親は画家シュザンヌ・ヴァラドンで、1883年、彼女が18歳のときにユトリロを出産。当時のヴァラドンは著名な画家たちのモデルを務めていたが、その頃のモデル業は売春と関連付けて考えられることが多かった。恋愛関係にあった芸術家は多数。ロートレック、シャヴァンヌ、ルノワール、さらに音楽家のエリック・サティ。ドガはヴァラドンと師弟関係にあり、彼女にデッサンや銅版画の手ほどきをした。
そんな母の元に生まれたユトリロは、8歳のときにスペインの画家ミゲル・ウトリリョ(ユトリロ)・イ・モルリウスに認知される。だが、ヴァラドンは生涯にわたって実の父親を明かすことはなく、本当の父は「ルノワールである」とも「シャヴァンヌである」とも言われた。
母親は創作活動と恋愛に忙しく、ユトリロは放任状態。寂しい環境のなか、中学生の頃には飲酒癖がついてしまう。18歳になったユトリロは、精神病院でアルコール依存症の治療を受ける。その際、主治医が母親ヴァラドンに「精神を落ち着かせるために、絵を描かせてはどうか」と勧め、ユトリロは画家としての道を歩み始めることになった。