千葉すずの時代からは隔世の感
サッカー選手も、野球選手も、卓球の選手も、試合を前にして、異口同音に「楽しみたいと思います」という。
逆にいえば、それしかいわなくなったといっていい。
かれらはその言葉を、インタビューに対応するときの一番無難で、一番使い勝手のいい言葉だと思っているようだ。
その道のOBや解説者たちもまた、現役の選手に「楽しんで」という。だれひとり、「がんばって」というものはいない。「がんばって」はいまや禁句のようである。
なかには試合に負けても、とても本心とは思えないが、「楽しめたからよかったです」という選手までいる。
30年ほど前、アトランタオリンピックに出場した水泳選手の千葉すずが、「メダルは意識しない。楽しく泳げればいい」と発言してバッシングを受けたことを考えると、まさに隔世の感がある。
1999年6月、第75回日本選手権水泳競技大会で女子100m自由形の日本新記録を出した千葉すず選手(写真:アフロスポーツ)
現代では、むしろ「楽しむ」ことが義務のようになっているのだ。
「楽しむ」「楽しい」は、一般の人間もふつうに口にしている。完全に市民権を得た言葉として認知されているのだ。
まさに猫も杓子も「楽しめ」である。
楽しまなきゃ「損」なのか
調子に乗って、ストレスも楽しめ、老いも楽しめ、人生そのものも楽しめ、というものが出てくる。
和田秀樹が高齢者に勧めるのも、もちろん「楽しい」ことである。
こんな具合だ。
高齢者は認知症になる可能性が高い。であるからには、「いまのうちに、どんどん好きなことをして、楽しく生きること――」(『80歳の壁』幻冬舎新書、以下同)。
また高齢者はボケるかもしれない。
しかしボケたらボケたでしかたない。「それでもあるがままを受け入れて、いまできることを楽しみながら、自分らしく生きたい、と私は思っています」