極右ポピュリズムの軸となったルペン親子(写真:AP/アフロ)
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 世界的に極右政党が存在感を増してきている。2024年6月の欧州議会選で大勝したフランスのマリーヌ・ルペン率いる国民連合(RN)は、マクロン政権を解散総選挙に追い込むなど大きく話題を集めた。結局、同年7月の決選投票で左派連合が逆転勝利したが、極右政党がいつ政権を取ってもおかしくない状況だ。今回の参院選における参政党の躍進を、こうした極右の台頭と同じ文脈で捉える人は少なくない。

 なぜフランスでこれほど極右が支持されるのか。『ルペンと極右ポピュリズムの時代 〈ヤヌス〉の二つの顔』(白水社)を上梓したフランス政治が専門の渡邊啓貴氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──フランスの極右政党、国民戦線(FN)と国民連合(RN)を率いたルペン親子とその歴史について書かれています。なぜこの本をお書きになったのでしょうか?

渡邊啓貴氏(以下、渡邊):ミッテランが率いた1981年の社会党政権時代に初めて現状分析を書いてから、かれこれ40年以上も私はフランスの政治と社会情勢について研究してきました。その中で、選挙のたびに必ず出てきて、次第に存在感を増している政党が、ルペン親子が率いる政党です。

 1972年に国民戦線(FN)が結党され、2018年に国民連合(RN)に改名されました。この政党について、気になってしかたがなかったというのが私の本音です。

 私が初めてフランスを訪れた1978年の夏、パリのど真ん中にある観光名所として有名なチュイルリー公園で、数十人が演台を作り、大きな声で演説をしていました。この時に中心で演説をしていたのが右翼の頭目で、国民戦線(FN)を創設したジャン・マリ・ルペンでした。

「国民戦線」という名称からわかるように、FNは政治結社の連合です。実は、今でも国民連合(RN)は政党を名乗ることを拒否しています。

 フランスに訪れたばかりの私は、インドアーリア系とは違う、特にアラブ系の人々に日常的に行き会うことに驚きました。そのこと自体が、日本人からすれば新しい発見でしたが、ルペンたちはそこで排外主義を唱えていたのです。

 初代党首のジャン・マリ・ルペンにパラシュート部隊の兵士として従軍した過去があったからでしょうか、集まっている聴衆の中には戦闘服を着ている若者もいて、まるで一昔前の街宣車に乗った日本の右翼団体さながらの雰囲気でした。私自身が外国人ですから恐怖を覚えました。

 そのようなわずか数十人程度だった集団が、今ではフランスの大統領選挙の決選投票に残る政党になったのです。父親のジャン・マリ・ルペンは、2025年1月に96歳で他界しましたが、三女のマリーヌ・ルペンが2011年に党首になってからは、毎回、フランスの大統領選の決選投票に残る政党になっています。

──この政党が力を付けたいくつかの要因や歴史的な転機があれば教えてください。