車両生産の終了を決定した日産追浜工場(写真:ロイター/アフロ)
目次

井元 康一郎:自動車ジャーナリスト)

航空機産業、重工業の先端を行く地だった「追浜」

 グローバルでの大規模な合理化に追われる日産自動車。今年(2025年)5月、「神奈川の追浜工場と子会社、日産車体の湘南工場の閉鎖を計画」というスクープが飛んだ。

 6月の株主総会での投資家の質問や地方自治体からの問い合わせに対し、「決まった事実はない」とだけ応じてきたが、7月16日に追浜工場での車両生産と日産車体湘南工場への生産委託を終了すると正式に発表した。追浜には研究所もあるので完全な閉鎖というわけではないが、生産拠点の整理という観点ではほぼ第一報どおりの内容と言える。

図表:共同通信社
日産追浜工場(写真:共同通信社)

 1960年に起工し、翌年操業が開始された追浜工場は日産にとって最古の乗用車専用工場で、いわば源流のような地だ。だが、日産自身が何もないところに突然工場を建設したわけではない。

 普段は目にすることができないが、工場見学などで追浜工場の奥深くに入るといくつかの古風な大型の建物が目に飛び込んでくる。

 かつて海軍横須賀航空隊と海軍航空技術廠があった時代に建てられた飛行機の格納庫である。追浜工場だけでなく、周辺にもかつての航空機開発の遺構が随所に点在している。追浜は近代産業の粋と言うべき航空機産業、重工業の先端を行く地だったのだ。

 歌川広重が遺した有名な浮世絵「金沢八景」に往時の景勝ぶりが偲ばれるこの地に海軍の水上機基地が建設されたのは113年前の1912年。その後、海岸線が広く埋め立てられ、1926年には海軍横須賀航空隊の追浜飛行場が完成した。

 その頃を境に追浜地区は漁村と新田の村々から近代技術の集積地へと急激に変貌していった。横須賀航空隊は海軍初の航空隊ということもあって、実戦部隊ではあるものの新型航空機や新兵装の実験など技術開発の一端を担う実験部隊色の濃い航空兵団となり、新機種の多くがここでテストされた。

 1932年には航空関連の先端技術開発を行う海軍航空技術廠も飛行場に隣接する形で設立され、追浜はまさに航空技術開発の中心地となった。

 開発拠点が集積すると、先端分野のエンジニアも必然的にここに集まる。航空技術廠は既存のメーカーが個別に製造責任を負うのが難しいような新技術を盛り込んだ航空機の開発を主任務としていただけに、集まる人材もテクノクラートから技能職まで自ずと選りすぐりとなる。