大森貝塚遺跡庭園 縄文貝塚遺構 写真/GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート
(山口謠司:作家)
「天下人」と呼ばれる武将や後世に名を残した文化人など、知名度の高い人物のほかにも、私たちの人生や身近な生活に影響をもたらした偉人がたくさんいます。
そんな名前だけは知っていてもどんな人物なのか? そもそもこの人は誰? など、幕末から平成にかけて活躍した偉人の生涯、功績、知られざるエピソードを、テレビやラジオで活躍する作家・山口謠司さんがわかりやすく、楽しく紹介します。
今回は、シルベスター・モース、大森貝塚を発見したことで知られるアメリカ人、モースという人のお話です。
*山口謠司さんの記事を音声で聴けるコンテンツ「「買待新書」現代日本をつくった偉人たちの物語」は以下よりお楽しみいただけます。
買待新書(かいたいしんしょ)現代日本をつくった偉人たちの物語(1)エドワード・モース
買待新書(かいたいしんしょ)現代日本をつくった偉人たちの物語(2)渋沢敬三
縄文という名前を作った人
エドワード・S・モース
大森貝塚、皆さん行ったことありますか。史跡になっています。縄文時代の縄文という名前を作った人、それがモースです。
縄文という言葉は後から日本語になったものなんですけれども、モースはアメリカ人なので、論文の中で、「cordmark」「pottery」、縄目模様の土器が使われていた時代のことを縄文時代と呼びました。
縄文の文様のある土器を使っていた時代、つまり縄文時代の日本人が日本という国に暮らしていたんだということを世界に初めて知らしめたのはこのモースだったんです。
モースが、今品川にありますが、大森貝塚の調査をしたのは1877年、年号で言いますと明治10年のことです。
モースは、アメリカから船に乗って横浜までやってきます。
横浜について、東京の領事館に行かないといけないよということを言われて、汽車に乗ります。
今のように早い電車じゃありません。ゆっくりゆっくり、ガッタンゴットン、ガッタンゴットン。
横浜から東京新橋まで来る汽車の中で珍しくて、右、左きっと見ていたんだと思います。
そしたら、大森を通過した時に、うわ。貝塚……貝塚を発見したんですね。
日本人にとってはなんでもない場所でした。でも、モースにとってはこれプレゼントだったんです。
実はモースが横浜に着いたのは6月18日。彼の誕生日の日でした。誕生日の日に、自分が1番日本に来て調べたかった貝塚を見ることができたんです。もう39歳の時でした。
