「棋士にならなければ、鉄道の運転士になりたかった」

 愛知県瀬戸市で生まれた藤井は幼年時代、近所の踏切で電車を1時間も見ていて飽きなかったという。電車に乗れば先頭車両の最前部に立ち、運転士の気分になった。自宅では鉄道玩具の「プラレール」を広げて遊んだ。将棋は5歳で覚えたが、その前から鉄道に夢中になっていた。後年に「棋士にならなければ、鉄道の運転士になりたかった」とも語った。

 小学生の高学年になると、東海道新幹線や名古屋周辺のJRや名鉄の時刻表をほとんど暗記した。片道で2時間以上かかる大阪市・福島の旧関西将棋会館への往復で、どの電車に乗れば早く着くかという現実的な目的もあった。

 藤井は高校1年の夏休み、友人と2人で「青春18きっぷ」を利用して旅に出た。愛知県から在来線を乗り継ぎ、中央本線の小淵沢駅に向かった。そして一番の目的である小海線の観光列車「ハイレール」に乗った。山梨県と長野県にまたがる小海線は、高原鉄道として知られている。清里駅と野辺山駅の間の標高は、JR鉄道最高地点(1375メートル)である。

 藤井らは八ヶ岳や南アルプスの雄大な景色を車窓から眺めた。そして佐久平駅で降りると、北陸新幹線で長野駅に向かい、以降は在来線を乗り継いで愛知県に帰った。約14時間にわたる日帰りの旅だった。

 藤井がタイトル戦の対局で新幹線や列車に乗る場合、グリーン車の座席がすべて用意される。それだけに、16歳のときに安価な旅を経験したのはよかったと思う。

 私こと田丸も鉄道好きだ。仕事で地方に行ったときは、合間を見てローカル線に乗るようにしている。

撮影/田丸 昇

 写真は、久慈駅と宮古駅(いずれも岩手県)を結ぶ「三陸鉄道北リアス線」の車両。2011年3月に東日本大震災が起きてから3年後のことで、鉄道はようやく復旧したが沿線の周辺は大震災の爪痕がまだ残っていた。

 私は今年6月上旬に東京で開かれた日本将棋連盟の総会の会場で、空き時間に席が近かった藤井七冠に同じ「乗り鉄」として話しかけ、その写真を見せた。前述のように藤井は宮古駅で一日駅長を務めたが、この車両を見るのは初めてだという。もっと話したかったが、会議が再開してしまい残念だった。