そして、あの人は?
やらかしても復活した人やダメージを最小限にした芸能人に共通するのは、この仕事の成り立ちであるところのビジネスモデルが強固だったと考えるべきでしょう。謝罪会見の有無以上に、その人にとって代わることが難しい、強固なビジネス地盤を築いている人はやはり強いのです。
逆にその人でなくても他に代わる存在がいれば、「逃げ切り」によって批判を避けることはできたとしても、自身の存在そのものが消えてしまう可能性があります。
これこそが謝罪会見をすべきかどうか、判断のポイントではないでしょうか。
永野芽郁さんは今、女優としての岐路にあると考えられます。若手清純派女優として人気を博し、現在の地位があるといえるでしょうが、それは永遠ではありません。男女問わずビジュアルは芸能においてきわめて重要な要素ですが、単なるビジュアルの良さや若さは確実に変化します。
しかし演技というアートにおいてはどうでしょう。
単にビジュアルの良し悪しで決まるものではなく、人間としての厚みや深み、存在感といったさまざまな要素が組み合わさって、演技を構成しているのではないのでしょうか。
ある意味その要素の一部に過ぎない「若手清純派」というポジションを売りにするビジネスモデルだとすれば、それは早晩リミットが来るはず。一方で年齢を問わず、いわゆる汚れ役や人間の表裏を表現できる役者さんは息長く活躍しています。
謝罪や公式会見をせず、現在に至っている大物芸能人は他にもいます。
元SMAP中居さんやダウンタウン松本さんはどうでしょう。「代わりがいるか」が判断ではないでしょうか。

幅広い国民的人気芸能人という立ち位置は、残念ながら常に別のプレイヤーが控えています。一方で、唯一無二の存在を築いた人は、広く一般視聴者からの支持はなくとも、事業の継続は可能だと思います。
ただ単にマスコミで人気を得ただけではなく、それ以上、ワン・アンド・オンリーの存在かどうか、それが判断における分かれ目だと、私は考えています。