3.米国の領土問題に関する中立政策
本項は、官邸ホームページ「パンフレット―尖閣」および外務省ホームページ「尖閣諸島について2015年3月」を参照にしている。
(1)台湾・中国の尖閣領有の主張
1960年代の終わり頃になると、尖閣諸島への台湾人の不法入域が問題となり、琉球列島米国民政府(USCAR)と協議の上で琉球政府は取締を行った。
この頃、尖閣諸島をめぐる情勢に変化が生じた。その変化は、沖縄返還が現実化するに伴い顕著になってきた。
それまで、尖閣諸島の領有を主張したことのなかった中国、台湾が、突如として領有権を主張し始めたのである。
また、1969年5月、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の調査報告書が公表され、「石油および天然ガス埋蔵の可能性が最も大きいのは台湾の北東20万平方キロに及ぶ地域である。台湾と日本との間にある大陸棚は世界で最も豊富な油田の一つとなる可能性が大きい」と指摘された。
ちなみに、1970年7月に台湾は米国のパシフィック・ガルフ社に周辺海域の大陸棚探査権を与えた。しかし、1971年4月パシフィック・ガルフ社は米国務省の意見で撤退した。
以上のことから、中国および台湾が尖閣諸島に関する独自の主張を始めた要因については2つの見解がある。
一つは、国連機関による調査の結果、東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖閣諸島に注目が集まった1970年代以降からであるとする見解。
もう一つは、尖閣諸島を含む沖縄が日本に返還されることになった沖縄返還にあるとする見解がある。
例えば、台湾の漁民は、尖閣諸島が米国の施政権下に置かれた時代には尖閣諸島の周辺海域に自由に操業できたが、尖閣諸島の施政権が日本に返還されると、漁場取り締まりが厳しくなることを恐れていたと言われる。
いずれにしても、台湾の中華民国政府は1971年6月11日、外交部声明(注2)を通じて尖閣諸島の領有を主張した。
その半年後1971年12月30日、中華人民共和国外交部は、尖閣諸島は「台湾の付属島嶼である。これらの島嶼は、台湾と同様に、昔から中国の不可分の領土の一部」であるとする声明(注3)を発表したのである。
(注2)1971年6月 台湾外交部声明(抜粋)・・・同列嶼は台湾省に付属して、中華民国領土の一部分を構成しているものであり、地理位置、地質構造、歴史連携ならびに台湾省住民の長期にわたる継続的使用の理由に基づき、すでに中華民国と密接につながっており・・・米国が管理を終結したときは、中華民国に返還すべきである。
(注3)1971年12月 中国外交部声明(抜粋)・・・この協定(沖縄返還協定)の中で、米日両国政府は公然と釣魚島などの島嶼をその「返還区域」に組み入れている。これは,中国の領土と主権に対するおおっぴらな侵犯である。
・・・釣魚島などの島嶼は昔から中国の領土である。早くも明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球、つまり今の沖縄に属するものではなくて、中国の台湾の付属島嶼であった。
・・・日本政府は中日甲午戦争(日清戦争)を通じて,これらの島嶼をかすめとり・・・「台湾とそのすべての付属島嶼」および澎湖列島の割譲という不平等条約――「馬関条約」に調印させた。
(2)中立政策の契機
米国の領有権問題に関する中立政策の契機となったのも、沖縄返還である。
沖縄返還協定の署名が行われた1971年6月17日、米国務省のチャールズ・ブレイ報道官は、記者会見において次のように述べた。
「米国政府は、尖閣列島の主権について中華民国政府と日本との間に対立があることを承知している」
「米国はこれらの島々の施政権を日本に返還することは、中華民国の根元的な主張を損なうものではないと信ずる」
「米国は、日本が従前から同島に対して持っていた法的権利を増大することもできないし、中華民国の権利を縮小することもできない」
米国は、その後も折に触れて、尖閣諸島の領有権については、最終的に判断する立場にはなく、領有権をめぐる対立が存在するならば、関係当事者間の平和的な解決を期待するとの中立的な立場を示している。
なぜ、米国は中立政策を採用したのかについて次の2つの見方がある。
一つは、1971年6月の沖縄返還協定締結の時期に、台湾および中国が尖閣諸島の領有権を主張した。
台湾はその頃まで米国の同盟国であった。また、同年7月にはニクソン大統領の訪中が発表された。そのための折衝が、水面下でキッシンジャー補佐官によって行われていた。
よって、米国は、台湾および中国の主張に配慮し、曖昧な姿勢をとったのであるとする見方である。
もう一つは、米国の「中立政策」が、紛争の火種を残すための意図的なものであったとする見方である。
したたかな米国の外交政策は、いかなる時も自国の国益を最大限確保するための方策を講じると言われる。
この見方の傍証に「ダレスの恫喝」がある。
ダレスの恫喝とは1956年8月に重光葵外相とジョン・フォスター・ダレス米国務長官が会談した際、ダレス氏は沖縄返還の条件として「北方四島の一括返還」をソ連に求めるように重光に迫った。
東西冷戦下で、領土問題が進展して日ソが接近することを米国は強く警戒していたのである。
日ソ共同宣言には条約締結後に歯舞、色丹の2島を引き渡すと明記されている。
しかし当時、「ダレスの恫喝」によって日本政府は「四島一括返還」を急遽主張し始めたために、平和条約の締結交渉は頓挫して、領土問題も積み残されたのである
(出典:PRESIDENT 2017年2月13日号「安倍vsプーチン密室会談の中身を語ろう」)
(3)筆者コメント
2021年2月23日、米国防総省のジョン・カービー報道官は記者会見で、「尖閣諸島の主権に関する日本の立場を支持する」と述べた。
だが、同報道官は2月26日の記者会見で、23日の記者会見での自身の発言について「訂正したい(I need to correct)。尖閣諸島の主権をめぐる米政府の方針に変わりはない」と述べ、「誤りを遺憾に思う。混乱を招いたことを謝罪する」と述べた。
また、2013年8月に来日した共和党のジョン・マケイン上院議員(当時)は、「尖閣諸島に対する日本の主権は明確だ。この点は論議の対象とされるべきではないと語り、日本の立場を全面的に支持する考えを示した」(朝日新聞デジタル2013年8月22日)
以上のことから次のことが推測される。
米国政府が尖閣諸島の領有権問題では中立政策をとっていることが、米国内ではよく知られていないということである。
つまり、国務省の一部の外交官はよく知っているが、その他の政府職員や連邦議会議員には知られていないということである。
逆に、多くの米国民は、尖閣諸島の領有権は日本が持っていると思っているのではないだろうか。