もし、独ソの提携が成立するのであれば、英仏も介入を断念するだろうし、その結果、孤立したポーランドはドイツの要求を容れるかもしれない。すなわち、戦争は土壇場で回避される。そのような希望を抱きながら、マンシュタインはベルヒテスガーデンからの帰路についた(H-KTB, Bd. 1/ Greiner/『失われた勝利』上巻)。

そしてヒトラーは開戦を決めた

 しかし、彼の期待は裏切られた。8月23日付で締結された(実際に調印されたのは、日付が24日に変わった直後であった)独ソ不可侵条約により、戦争を対ポーランド一国だけのものに局地化できると信じたヒトラーは、開戦を決意したのである。

 1939年8月24日正午、ルントシュテットは、正式呼称「南方軍集団」となった部隊の指揮権を得た。翌日午後3時25分に、陸軍総司令部の命令が同軍集団司令部に下達される。

「『白号』第一項、Y=日時〔開戦日時〕は八月二六日〇四三〇〔時分を略した二四時間表記〕」(『失われた勝利』上巻)。

 その後、開戦が延期され、作戦発動日時が9月1日午前4時45分にあらためられるというハプニングがあったものの、しょせんは些事にすぎない。

 戦争――マンシュタインにとっては、二度目の大戦がはじまる。