マンシュタインについていえば、英仏の軍備は立ち後れており、しかもポーランドを支援しようとすれば、大損害をこうむるのを覚悟で「西方防壁」に攻撃をしかけなければならない、ゆえに外政・内政的に拘束されている両国が介入してくることはあるまいとするヒトラーの論理に説得力を覚えたとしている。

 だが、その一方で、ポーランドが攻撃された場合には介入すると、イギリスが保障を与えていることを考えれば、ことが欧州大戦に発展する可能性は絶無ではないとも考えた。

ヒトラーは武力を行使しても、ポーランド問題を解決するつもりだと表明し、実際に実行に移した。部下の将軍たちはヒトラーの意向をどのように受け止めていたのか(写真:Ullstein Bild/アフロ)

英仏牽制のための独ソ不可侵条約

 しかし、より重要だったのは、ヒトラーがソ連と不可侵条約を結ぶ交渉を進めさせていると表明したことであった。その狙いは、強力な第三国を味方にすることによって、英仏をひるませ、ポーランドを孤立させることにあった。

 周知のごとく、ヒトラーは、日本と軍事同盟を結ぶことによって、英仏を牽制しようと策していた。それが実現すれば、英仏がヨーロッパで戦争に突入するとともに、そのアジアの植民地は日本の攻撃を受けることになるから、両国ともポーランド問題に介入できなくなると考えたのである。

 ところが、そのために日本に働きかけても、いわゆる「防共協定強化交渉」、1936年に結ばれた日独防共協定を軍事同盟に拡大しようとする試みは、いっこうに進まない。日本の外務省と海軍が締結に傾こうとしなかったからだ。業を煮やしたヒトラーは、宿敵であったはずのソ連と手を握り、日本の代わりに英仏牽制の役割を担わせようとしたのであった。