日本では、今でも多くの野球指導者は「ボールは上から叩きなさい」「打ち上げるのではなくレベルスイングを目指しなさい」と指導する。

 しかしネットやテレビが「フライボール革命」でメジャーリーガーが打球をどんどんスタンドインさせているのを見ている日本の野球選手は、旧来の指導に違和感を持っている。根鈴雄次氏は、日本でほとんど唯一「フライボール革命」を具体的に指導できる指導者なのだ。

波乱万丈、“異端児”の野球人生

 根鈴氏は1973年横浜生まれ。「イチロー世代」だ。同年代にはイチローのほか、三冠王の松中信彦、ベイスターズのエース三浦大輔、両リーグMVPの小笠原道大などがいるが、根鈴氏はそうした野球人とは全く異なる道をたどった。

 日大藤沢高校時代から注目されたスラッガーだったが、指導方針があわなかったこともあり退学し渡米、大学野球を目指すが、その後帰国し、法政大学野球部に入り、代打の切り札として活躍する。

法政大学時代の根鈴雄次氏。六大学野球史上2度目となる代打逆転サヨナラ本塁打を放った(写真:共同通信社)

 大学を卒業後の2000年、単身渡米モントリオール・エクスポズ傘下のスプリングトレーニングに参加。4番を打ち15試合で5本塁打を打ってマイナー契約を勝ち取る。

 そのシーズンのうちにA、AAと昇格し、AAAオタワ・リンクスまで上った。その上はメジャーのエクスポズだ。

 日本人野手でマイナー契約からAAAまで昇格した選手は3人いるが、レギュラーとして活躍したのは根鈴氏だけだ。

2000年、3A時代の根鈴雄次氏(写真:共同通信社)

 26歳の根鈴氏はマイナー通算で220打数56安打5本塁打25打点、打率.255 OPS.793。十分に「メジャー昇格」が狙える成績だったが、このとき昇格したのは25歳のフェルナンド・セギノール。後に日本ハムで本塁打王になり「強打の助っ人」と呼ばれた選手だった。