
個人運営という珍しい形態
プロ野球愛好家の間では「史上最弱のチームはどこか?」がしばしば話題になる。
1936年のプロ野球創設以来で言えば、創設年の「大東京軍」は0勝13敗1分で1勝もできなかった。しかし当時は2シーズン制で試合数が少なかった。
1シーズン制になってからの最低勝率は、1958年の「近鉄パールス」。130試29勝97敗4分、率.238だった。近鉄は1950年にパ・リーグに参加、近鉄沿線の伊勢志摩の名産「真珠」から「パールス」という愛称だったが、弱かったので「玉砕ばかりのパールス」と言われた。この年は「引き分けを0.5勝」として勝率を計算したので勝率は.238だが、今の計算なら.230になる。
ただ、野球史研究家の間で「史上最弱ではないか」と言われているのは、大東京軍でも近鉄パールスでもなく、1954年から56年の3年間だけパ・リーグに存在した「高橋ユニオンズ」だ。
その戦績は以下の通りだ(カッコ内は監督)。
1954年:140試53勝84敗3分 率.387/6位(浜崎真二)
1955年:141試42勝98敗1分 率.300/8位(浜崎真二→笠原和夫)
1956年:154試52勝98敗4分 率.351/8位(笠原和夫)
浜崎真二は慶應義塾大出身、156cmの小柄だが阪急で投手として3年間プレーしたのち、阪急の監督を経て高橋の監督になった。1978年に野球殿堂入りした。
笠原和夫は早稲田大出身、南海で外野手として活躍したのち高橋へ、浜崎退任の後プレーイングマネージャーになった。
そもそも「高橋」とは人名だ。高橋龍太郎(1875-1967)というオーナーがポケットマネーで運営した。プロ野球にもいろいろな運営形態があるが「個人運営」の球団は高橋だけだ。