ショーペンハウアーが受け身の読書を批判した理由

 そして、その根底にあるのは、ゴーギャンの代表的絵画『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』に象徴されるような、世界と人間の実存についての根源的な問いです。

 他方で、人間の記憶というのは、学んだそばからどんどん失われていきます。完全に忘れるのか、パソコンで消去した文書のように、データとしては残っていても思い出せないだけなのかは議論の余地がありますが、いずれにせよ大量の記憶が日々失われていきます。

 睡眠とは動物が記憶を整理するために必要な時間だとも言われていますが、記憶と忘却のメカニズムを研究した心理学者エビングハウスの「忘却曲線」によれば、人間は1時間で半分、1日で4分の3もの記憶を忘れるそうです。

 こうした忘却する力を肯定的に捉えたのがニーチェです。ニーチェは、『道徳の系譜』において、忘れる能力があるからこそ人間は生きていけるのだとして、「忘却は単なる受動的な消失ではなく、積極的な力である」と言っています。

 このように、その是非や理由は別にしても、人間というのは記憶と忘却を高速で回転させる動物なのです。

 次の段階が「思考」です。単に知識を吸収するだけでそれを自分のものにできるかと言えば、そうではありません。

 ショーペンハウアーは、『読書について』の中で、本を読むということは、自分の頭の代わりに他人の頭で考えることだと言っています。そして、思索する時間を持たずにひたすら本を読み続けることを批判し、受け身の読書は思考の独立性を損なうとしています。もちろん、読書を全面的に否定したわけではなく、読書によって人が思考しなくなることを懸念していたのです。