スポーツと同様に身体的な訓練が欠かせない
拙著『人生を変える読書』の中でも言及しましたが、読書というのは著者との対話です。本を読み考えることで、著者を相手に何度も何度も壁打ちを繰り返し、自分の考えを練り上げ、思考を深めていく作業なのです。読書をするに当たって、これを意識しなければ、いつまで経っても自分の中にしっかりとした考える軸を構築することはできません。
そして、最後が「実践」です。養老孟司の『バカの壁』でも書かれているように、人間の思考や感情といった内面を他者に伝えるためには、必ず身体を通じたアウトプットが必要となります。話すにせよ書くにせよ、テレパシーでもない限り、人間は身体を通じてしか自らの思考や感情を表に出せないのです。
身体を通じた表現で一番分かりやすい例がスポーツです。どんなに知識と思考を積み重ねてみても、身体的な訓練を伴わなければ、スポーツは上達しません。音楽や演劇、武道や芸道などの「道」と呼ばれるものも、そして、社会生活を営む上での対人関係やビジネスもすべて同じです。知識として学んだことを自分なりに考えて実践し、何度も失敗を繰り返し、経験を積み重ねることで、知識と思考が身体知にまで昇華していくのです。
ここで言う身体知とは、言語化や形式知には還元できない、身体を通して培われた実践的な知を意味します。経営学者の野中郁次郎は、『知識創造企業』などの著書の中で、身体知の重要性を強調しました。知識には形式知と暗黙知があり、特に身体を通して獲得された暗黙知こそが本質的な知であり、創造的な実践の基礎になるのだと言っています。ビジネスにおけるリーダーシップや経営判断も、理性や論理だけではなく、身体性を伴った直観的な知によって支えられているというのです。
野中は、最晩年の著書『二項動態経営』の中で、経営とは技術や手法ではなく、「生き方(a way of life)」だと結論付けています。つまり、経営とは自らの生き方そのものを問い続ける実践であり、実践知(フロネシス)に基づく行動哲学だというのです。
(文中敬称略)



