完全に殺すより、怪我をさせて苦しめる

 この大行進に対して、イスラエル軍は催涙弾、ゴム弾(中身は金属なので当たれば重傷を負います)、さらに実弾を浴びせました。

 しかも、バタフライ弾やダムダム弾と呼ばれる、当たると体内で弾頭が炸裂し、骨を砕いて筋肉や神経を引き裂くような特殊な銃弾を使いました。意図的に片腕、片脚を失わせるためです。とりわけ脚が狙われました。身体的障害を何百人、何千人にも与えるという方法をとったのです。

 デモに参加するのは若者が多く、若者が生涯その傷を背負い続け、かつ、働けなくなり、家族に負担がかかるというコストを生み出します(ガザ地区ではバリアフリーはまだ一般的ではないのでなおさらです)。

 完全に殺すよりも、よりパレスチナを苦しめることができる、そのことが狙いだと言われていて、殺害した人数以上に腕や脚を失った人を生みました。

2019年2月、「帰還の大行進」で負傷した男性を運ぶパレスチナ人衛生兵(写真:新華社/アフロ)

自殺行為とわかっていても参加する若者たち

 イスラエルに殺された人の数は2018年がその前後の年よりも多くなっています。これは帰還の大行進に対する実弾攻撃による殺害のためで、とくにイスラエル建国の5月14日のデモでは一日で50人以上が殺害され、2700人もが負傷させられました。

 このデモは、ハマースやイスラーム聖戦やPFLPなどの特定の党派ではなくて、市民レベルのネットワークで広がったと言われています。学生団体、女性団体、文化団体、労働組合なども基盤となって、行進を呼びかけ組織する統一的な「民族委員会」が若い世代によって結成されました。
 
 政治党派は党派色を出さない形で横断的に関与しました。その点では、第1次インティファーダ以来のことで、画期的な抵抗運動だったのではないでしょうか。

 しかし、境界に設けられたフェンスのかなり近くまでデモをするので、フェンスの向こうに待ち構えるイスラエル軍のスナイパーに銃撃され、毎週負傷者も死者も出て、参加するのは自殺行為だと言われていました。

 2005年のガザ地区封鎖から10年以上が経ち、2000年の第2次インティファーダのころに生まれた当時18歳くらいの人たちは、ガザ地区の中しか知りません。

 封鎖でガザ地区から出ることもできず、ガザ地区の中で援助物資を食べて生きていて何の未来も抱けない、そういう10代、20代の若者に「行くな」「命を粗末にするな」と言っても、むしろ、「殺されることが本望」という人もいて、フェンス際まで行進する若者が絶えませんでした。

 いくつか帰還の大行進を扱ったドキュメンタリーも見ましたが、親が必死に「行くな」「心配だ」と言っても、「ここでじっとしていてもしょうがない」と、毎週出かける。そういったガザの若者の姿が映されていました。

 これまで長くガザ地区を見てきた立場から言えば、選挙結果は認められず、政治交渉を求めて連立をしても潰される。ガザ地区の中からの民衆的かつ政治的なアピールのデモ行進をすれば銃弾が浴びせられ、国際社会からは黙殺される。〈10.7〉に繫がるような組織的な、大規模な抵抗へと追い込まれていく、そういう出来事だったのではないかと思います。