
1948年5月のイスラエル建国に伴い、多くのパレスチナ人が難民となった「ナクバ」から77年。現在、イスラエルでは「ナクバ」という言葉が消されようとしている。2023年の「10.7」にいたるまでに、イスラエルとパレスチナの間にどのようなことが起こっていたのか。パレスチナ/イスラエル研究者の早尾貴紀氏が解説する。(JBpress編集部)
(早尾貴紀、東京経済大学)
※本稿は『イスラエルについて知っておきたい30のこと』(早尾貴紀、平凡社)より一部抜粋・再編集したものです。
「ナクバ」が教科書で使用禁止に
「ナクバ」とは、アラビア語で破滅・大災厄を意味し、1948年のイスラエル建国時に80万〜90万人ものパレスチナ人難民が生まれたときのことを指します。
ナクバについて、イスラエル自身は、計画的な民族浄化とは一切認めていません。
「自分たちは迫害していないし追い出したわけでもない、勝手に逃げたのだ」という言い分です。だから、難民の発生には責任がないし、勝手に逃げたパレスチナ人にイスラエルを批判する権利も、イスラエル領となった故郷に帰還する権利もないと主張しています。
けれども、パレスチナ人たちにとっては、何十年にもわたる苦難を象徴することであり、「自分たちはそういう大災厄を受けた」と1948年のナクバを語りついできました。
ところが、2009年、イスラエルは国内のアラブ人居住区の学校(アラビア語とヘブライ語のバイリンガル教育が行われています)で使う教科書で、「ナクバ」という言葉の使用禁止を決めました。
教育相は「公立の教育制度においてイスラエル建国を大災厄と表現する理由がない。教育制度の目的はわが国の正当性を否定することでも、アラブ系イスラエル人の間に過激思想を広めることでもない」と説明したと報じられています。
この決定は、初めてガザへの大規模な軍事侵攻が行われた2008年末から09年初めにかけての攻撃のすぐあとです。パレスチナを排除する動きの中で、ナクバという言葉を使用することを禁止したのです。
ナクバを学校で教えることを禁じるということは、子どもたちにナクバを継承していくことを否定するものです。それは、パレスチナの地がパレスチナ人の民族的郷土であるという事実を否定し、難民となったパレスチナ人が求める帰還権を否定し、難民とイスラエルに残るパレスチナ人との一体性を否定することでもあります。
単にナクバという言葉一つを教えないという問題ではないのです。