20年以上かかって太古の壁画と認められた“不都合な絵”
父のサウトゥオラは、翌1880年に「彩色壁画は、旧石器時代のもの」だと考古学会に発表する。しかし当時、太古の絵は知られておらず、野蛮な“原始人”にこんな絵が描けるはずがないと否定された。そればかりか捏造を疑われ、学会が「過ち」を認めるまでに20年以上を費やすことになる。彼はその前に、失意のまま57歳でこの世を去った。
アルタミラの壁画は、進化論を崇めた学者たちにとって“あってはならない”不都合な絵だった。洞窟に住むような未開人は、感性や知的に劣り、十分な技術を持ちあわせない……頑迷な“決めつけ”である。しかし、フランスの洞窟からその後相次いで岩絵や刻画が見つかり、20世紀に入ると否定派も認めざるを得なくなった。見たくない事実に目を閉ざすのは、今なお先住民や人種、性別、信仰へと及び、通底する心理かもしれない。
世界一有名になった1万4500年前の“名画”は一般公開されると、観光客がわんさと洞窟に押しかけた。1973年には、年間17万人もの記録に達する。が、この大人気はアルタミラ洞窟を危機的な状況に陥れてゆく。温度や湿度が上昇すると色素がはがれ、退色してしまうのだ。さらに見学者の吐く息は、酸性化を引き起こす。実はこの洞窟が完璧なまでに良く保存されていたのは、遠い昔に崩落した岩で、入口が固く閉ざされていたからである。
開封して人が接すると、壁画がいかに傷つくか? それは、「世紀の大発見」と語り草になった高松塚古墳が、反面教師として事実を教えてくれる。円墳の石室4面には、「飛鳥美人」をはじめ男女の群像や四神(青龍・白虎・玄武、朱雀はない)が極彩色で描かれていた。模写するために石室に入った日本画家・平山郁夫は、こう証言している。
「人の体温で室内が乾き、瞬く間に壁画の色があせていった」
さらには石室のカビを抑える燻蒸が、逆に壁面を痛めた。結局、黒いカビが大発生して、絵はくすみ消えた箇所もある。文化庁の判断によって、石室ごと解体して“修理”するが、カビの痕跡を消す技術はまだない。もはや元の古墳に戻せないらしい。
アルタミラ洞窟は2002年に閉鎖され、わずかな研究者以外は非公開になった。けれども2014年から週5人に限って見学を許可している。この試験公開は、予約制で年間260人だけ。待機リストはいっぱいで、新規の申し込みは受け付けていない。世界遺産が、すべての人々にとっての宝であるならば、見たいと熱望する人には、最小限でも門戸を開くべきだろう。誰一人見ることができない岩絵では、世界遺産に相応しいと思えない。

今、本物に代わって見学者を受け入れているのが、洞窟の近くにある博物館の3次元レプリカ。岩の凸凹を型どりして再現し、まったく同じ位置に、旧石器時代のアーティスト通りの手法で絵の具もそのまま、寸分違わぬ壁画が作られている。洞窟の闇の奥にあって、呪術的な要素が強かった「人類の傑作」が、身近に楽しめるようになった。
2008年、世界遺産「アルタミラ洞窟」は、大西洋に面した3つの自治州(アストゥリアス州、カンタブリア州、バスク州)にある17の洞窟を追加登録した。その中で、壁画の年代が4万年前まで遡るエル・カスティーリョ洞窟は一般公開中である。
カスティーリョ山にうがたれた石灰岩の穴。氷河期の末期に、狩人たちは獲物を追って転々としながら、岩肌に“自らの証し”を残した。現地に立ち、そこで本物を感じる。世界遺産の醍醐味とは、何モノにも代えがたいその一瞬にある。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)