この事故は「過失」ではない、危険運転致死傷罪で起訴を
大型トラックを運転していたのは、札幌市に本社のある運送会社「マルハリ」に勤める降籏(ふりはた)紗京被告(当時28)でした。発生から7カ月後、過失運転致死傷罪で起訴。『公訴事実』には以下のような内容が列挙されていました。一部要約して抜粋します。
<公訴事実の内容>
●被告人は、令和6年5月14日午前4時11分頃、神奈川県厚木市にあった勤務先駐車場から埼玉県入間郡内まで、大型貨物自動車を運転しての貨物配送業務を行うため、自動車専用道路を走行しての長時間にわたる運転が予定されていた。しかし、数日前から発熱して意識が清明でないなどの体調不良があり、運転中に認知・運転操作が遅れるなどすることを認識していた
●自動車の運転を差し控えたり、仮に運転を開始するのであれば、正常な運転に支障が生じるおそれを感じた際には直ちに運転を中止したりするなどの注意義務があるのに、被告はこれを怠って、事故を起こすことはないと安易に考え、運転を開始した
●被告は同日午前7時6分頃から24分頃までの間、東京都品川区内から板橋区に至るまでの首都高速を進行中、自車をふらつかせ、その際、特殊加工された車道外側線を左側の車輪で何度も踏みながら走行。その際、車線逸脱を知らせる警告音や喚起振動を認識し、正常な運転に支障が生じるおそれがあることを認識していたにもかかわらず、すぐに運転を中止せず、漫然と運転を継続した
●7時36分頃、被告は美女木ジャンクション方面に向かって時速約75~80キロメートルで進行中、前方で渋滞のため停止中の船本宏史(当時54)運転の普通乗用車に自車を激突させ、その衝撃によって船本車をその前方に押し出ながら進行し、さらにその前方で停止中の小松謙一(当時58)運転の普通乗用車及び杉平裕紀(当時42)運転の普通貨物自動車に順次衝突させ、3台の車両を炎上させた
妻の智里さんのもとに返還された亡き夫の所持品。プラチナのエンゲージリングは握られた左手の中から見つかったという
事故後、こうした事実を知った智里さんは、会見時に語り切れなかった思いをこう語ります。
「被告は2日前から38度の発熱があったそうです。数百メートル手前から眠気を感じて意識障害を起こしていたようで、何度も左側の車輪で外側線を踏んでいました。公訴事実にもあるように、あの白線の上を通るとタイヤが振動し、結構大きな警告音が鳴るのですが、それを繰り返し聞いていながら運転を続けたのです。
そもそも、28歳にもなる大人が、ましてや大きなトラックを操るプロドライバーが、自分の自己管理もできず運転をしたことが問題ですが、途中で正常な運転に支障を生じるおそれがあると気づけば、路肩に停めるなり、パーキングで少し休憩するなりすべきだったのではないでしょうか」
料理好きだった杉平さんが、事故当日、家族のために作り置きしていた夕食用のハンバーグ。智里さんと子どもたちは、事故の映像が映し出されるテレビのニュースを見ながら、最後になるかもしれない父の料理を泣きながら飲み込んだ(遺族提供)